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自分の性質に改めて気づくこと

生まれて初めてひとりで温泉旅館に泊まった。はたと気づかされることがあったので書いておこうと思う。


わりとクラシックな小さい温泉旅館に泊まったので上げ膳据え膳でありがたいことだった。で、ぼんやり本を読んでいた私のところに「おふとんか敷かせてもらいますね〜」と仲居さんが来られたので、お願いしますということで私はよいしょと部屋の隅に移動した。


ぎょっとするぐらいほんの一瞬でその作業は終わった。机を移動し、押入れを開けて、敷布団と掛け布団を出して、広げて、シーツをかけて、掛け布団と枕を整える。失礼致しました〜と出て行くまでの時間の短さよ。もちろん次のお部屋があるのだろうが、急いでいるから早かったというよりもただてきぱきとしていて、本来この「布団を敷く」という行為に必要な最低時間を提示されたようだった。そしてこれを目の当たりにした私の感想は「私は何かの動作を始めるまでに、いちいち前置きが長すぎる!」だった。


「手際がいい」「仕事が早い」などと褒められて気をよくしたりする私、部屋もいつも比較的片付いているし、思い立ったら遠いところにもえいっと行ける私。なのだけど、この布団引き技を見た後では、「私は行動を起こす前に逡巡しすぎである」と改めて認識せざるを得なかった。ほんとうにそうなのだ。何かをする前に、「今これした方がいいかな、あれが先かな、あっちをしておいた方が段取りがいいかな、でも面倒だな、先にお茶を飲もうかな、そういえばあの人に連絡したっけな…」などと、脳みそが惰性で走り続けるのを止められず、なかなか身体を動かせなくてよく自己嫌悪に陥る私。仲居さんの布団敷きには「でも」も「だって」も「そもそも」もなかった。布団敷きはあくまで布団敷きであり、それ以上でも以下でもない。それだけのことなのだ。


人間の性質というものはさまざまな知識体系・哲学体系によって異なる描写が可能である。アーユルヴェーダはトリドーシャとか、まあいろいろあるんだけれども、個人的に私がわかりやすく、かつ自分で判断しやすいと思っているのが中医学で用いられる「熱」「冷」「湿」「乾」の概念です。この、行動の前に無駄に時間がかかっちゃう、腰の重い私は「冷」「湿」の人。(若林理砂さんの著作が非常にわかりやすいので、ぜひご一読ください。自分がどの傾向か知っておくと、体調管理の上でとても便利。)


ま、生まれ持った身体に付き合ってくか、と思いながらも、たまにはそれを気持ちよく裏切ろう。考えずにばばばっと行動して、頭より身体を先に行かせて、その勢いでどんどん脳みそが翻弄される感じを楽しもう。だって私には生きている限り、自分で行動を選べるのだから!


写真は「湿」の性質を加速させる、冷たくて油があって甘いものです。笑



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