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それもまた、「強さ」。

お疲れ様です。
久々に感情がぐしゃぐしゃになって、
シャワーを浴びながら号泣しました。

二人暮らしの難点は、気軽に泣くことができないところですね。

恋人に無駄な心配をかけたくなくて、涙がおさまるまで延々と顔を洗い流していました。

つい最近まで、だいぶ調子が良かったのに、また負のレコードが頭のなかで回っています。
このレコードって他人でもスイッチを入れることができるんだなぁなんて、ぼんやり思いました。

そう、なんとなく原因は分かっています。
きっと「あの言葉」が私を過去に引き戻し、レコードのスイッチを入れてしまったのでしょう。

「Uni.さんは強いから」
「Uni.さんみたいなプライドはないので」


あえて詳細は書きませんが、この言葉に私はとても悲しくなりました。
その場ではなんとか「そんなことないよ」と笑って返せましたが、家に帰ったらこのざまです。

悔しくて、腹が立って、悲しくて、
収拾がつかなくなった思いがすべて涙となって眼から溢れました。

「Uni.は強いから」


この言葉は私の影です。
生きている限り、ずっと私のそばにくっついて離れることはないのだと思います。
そう思ってしまうくらい、嫌というほど言われ続けてきました。

そのたびに思います。
「私だって、強くないよ……」

その言葉は、あたかも私が人よりも頑丈に生まれてきたかのように響きます。
他の人とは違う、なにか特別な存在で、他の人が感じる痛みや苦しみをものともしないような。

そんなこと、あるわけない。

私だってただの人間で、痛みや苦しみを感じています。

もし、強い人のように見えるのだとしたら、それは私が踏ん張って「強い人」で在ろうとしているからそう見えるだけです。

もとから強いわけでも、現時点で強いわけでもない。
ただ、強い自分でありたいと願い、そうなれるように努力しているだけです。

先ほどの言葉は、この努力を全てなかったことにします。
もとから強い人なんていない。
みんな、もがきながら、苦しみながら、それでも踏ん張って前を見ているのに。

目がなかなか開かないくらい泣いて、
少しスッキリしました。
徐々に心が落ち着いて、冷静さを取り戻します。

その言葉を放った人も、もしかしたら今不幸のなかに居て、自分と他者を切り離して考えないと生きていけない状況なのかもしれません。

私の努力がその人には見えなかったように、
その人の苦しみもまた私には分かりません。

だからこそ、無闇に言葉を投げかけてはいけないのだと思います。
自分はまだ何も知らない。何も分かっていないのだということを肝に銘じて。


私は私の意志で強くあろうとしているので、
「だったら強いって言われて文句言うなよ」という意見も分かります。なんなら、私自身がずっと自分にそう言い聞かせてきました。

けれど、誰にも分かってもらえなくても、自分だけは、踏ん張っている自分のことを認めてあげたい。
全てを知っている自分にだけは、弱い自分を曝け出したっていいと思うようになりました。


自分の決めたことなら、一切の弱音を吐くな。

そんなふうにずっと思っていたけれど、辛い時に「辛い」と素直に認められることもまた、強さですよね。

最近になって、ようやくそんな余白を自分に許せるようになりました。

揺るがない強さではなく、揺らいでも折れない、しなやかな強い人に私はなりたいのです。

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