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嫌いを知って、好きを知る。

“何でも好き”っていうのは、
“何も好きじゃない”とほぼ同義だ。

いつか誰かから聞いたこの言葉が
ふと頭に浮かんだ。

恋人の好きなところのひとつに、
“嫌いなものをはっきり嫌いと言える”
というのがある。
私と違う、彼の素晴らしいところ。


今の時代、否定的な言葉を使うのはなかなか勇気がいる。「嫌い」「苦手」「イヤ」etc.
そういったネガティブな響きを持つ言葉を何となく遠ざけてしまう私はいつの間にか、自分の「好き」と「嫌い」がよく分からなくなっていた。

どれでも、何でも、それなりに好き。


この感覚が心地良い人もなかにはいると思う。
実際、私もこの感覚に何度も救われてきた。
タイミングによっては、生きやすくなる1つの手段として持っていたほうがいい時もあるだろう。

けれど。
今の私にとって、これは幸福じゃなかった。

最近、イマイチ自分の持ち物や服装に統一感がないと感じることが増えた。
好きだと思って集めた家具と小物に囲まれた部屋なのに、心から満足できないのは何故なのか。
ずっと不思議に感じていたけれど、ようやく答えがわかった気がした。
そこには、はっきりとした嫌いがない代わりに、明確な好きも存在していなかったのだ。

そこで気付く。
自分の好きを知るにはまず、自分の嫌いに敏感になる必要がある、と。

嫌いだと思うことは少し勇気がいる。
それを認めると、なんだか自分が悪者になるような、少し損したような、そんな気がしてしまう。

だけど、そこをはっきりさせない限り、自分の好きもぼんやりしたままなのだ。

そして、その時感じるイヤな感じは、ほとんどが自分の偏見や先入観から作り出した「正しさ」に対する後ろめたさだったりする。
なんかやだなって感じるのは、認めるその一瞬だけだから。

受け入れたその目で見る世界はどこまでも鮮やかで美しい。

日頃感じていた違和感の答え合わせが、急にできた気がした。

嫌いだと思うことは、悪じゃない。
それをあえて誰かに伝えて、相手を傷つけることはしちゃいけないってだけ。

嫌いを知って、好きを知る。
自分の嫌いを知るって、ちょっと勇気がいることだけど、嫌いなものを無理矢理好きだと思いこむより、ずっとずっと心の健康に良い。

自分が認めてあげるだけで、楽になることって結構あるよね。

ふとした時に大切なことを思い出させてくれる。
彼はやっぱり素敵だと思う。

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