見出し画像

今、ここ、でうまれる言葉(場について)

今、ここ、というものは、「今」でしかないから、「ここ」でしかないから、そこに意味がある。

もしも、この生が、どこにでもありえるもので、あるいは永遠に続くものであったとしたら、どこであれいつであれ、かけがえのない経験とはならないだろう。限りある生だからこそ、経験の一つひとつが、貴重なものとなる。

「わたし」は何も持たずに生まれてきたわけではない。感じる力、知る力、考えを広げる力を具えている。それらの力を、研ぎ澄まし、しなやかにし、深め、大きくすることもできる。
それらの力を用いて、「何をしようとしているか」「どんな生き方をしているか」を示すことによってこそ、「わたし」がわたしであることの固有の意味を確かめることができるというものだ。

そうすると、次には、表現することが必要となる。
何を見て、何を考え何を感じて、そこから何をうみだしているか、それをあらわし伝えることはできるのか。

「今」は新しい今に塗り替えられ、「ここ」はあそこになっていく。
流されて忘れてしまうことのないように、その時その場所で生まれることばを残しておく。

そこにいたのは誰か。それはわたしには違いないのだが、わたしとともにいた人、わたしを見ていた人もいた。

「いい写真は撮れましたか?」
「今年は雪が少ないですね」

時折訪れるその場所で、同じ人にも出会えるのだが、もう会えなくなった人もある。
わたし自身についてもまた、その場所に次に行く機会があるのかどうか、実はわからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?