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「すべての出来事に意味がある」~映画『フェイブルマンズ』覚書

巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的映画である。
クリエイターの原点、作品の生まれる場所というのは私にとって興味を惹かれるテーマで、だからこそ、『トールキン 旅の始まり』のように作家やアーティストの伝記映画があると見ようかな、と心が動く。
この『フェイブルマンズ』も、映画公開時に見よう見ようと思いながら、結局行けないままに終わってしまった一本だった。
が、正月、ちょうどAmazonプライムで無料になっているのを見つけた。

ストーリーとしてはユダヤ系の家庭フェイブルマン家に生まれた少年サミーが映画と出会い、のめり込んでいく様を両親との関係と共に描いていく話。
二時間半という尺の中で、少年は成長し、新しい妹が生まれ、引っ越しも経験する。引っ越した先の高校でいじめにあったり、恋をしたり……。
そして、サミーの好きな映画作りを応援する芸術家の母と、「趣味」「遊び」と考えるエンジニアの父。
家族の記録ビデオを撮る役割を担っていたサミーは、家族で行ったキャンプのフィルムを編集している時、ある衝撃的な場面を見つけてしまう。

伝記映画は、主人公の生涯の中でどの部分を切り取るかにポイントがある。ダラダラと出来事を連ねて行くだけでは、メリハリに欠ける。
正直に言うと、二時間半という尺の長さを見た時、最後まで飽きずに見通せるか少し不安だった。
しかも、お正月休みの中で見るはずが、何だかんだで数回に分けながら断続的に見て、昨日ようやくエンドロールに到達した。

思った以上に時間がかかってしまったが、全編を振り返ってみた時、一つの言葉に収斂できるのではないか、と思った。

「すべての出来事に意味がある」

冒頭、竜巻を見に行こう、とサミー達子供たちを連れて自動車に乗り込んだ母ミッチが子供たちに言う言葉だ。

「すべての出来事に意味がある」

幼少期の映画との出会いが、汽車のオモチャを使っての衝突シーンの再現、そしてビデオ撮影に。
母がヒールで踏み抜いてしまった楽譜の穴は、友人たちとの自主映画製作の際の演出の工夫に。
記録ビデオの中に写り込んでしまったものは、その後の両親の離婚への伏線に。
そして、高校での記録ビデオの撮影係を引き受けた事が、離れていた映画作りへの復帰に。

成功に至るまでにはいくつもの実験と失敗の繰り返しがある。一直線にゴールまで行ける例はまれだ。
私も、記事であれなんであれ、原稿を第二稿、第三稿と書き直すことはよくある。ファイル名を見ながら、「何でこんなになってるんだ」と自分でも呆れる。が、それらがあるからこそ、より良いものが書ける。
スマートに行かなくても良い。泥臭くてけっこう。
と、最近は開き直ることにしている。

スピルバーグ監督は、しばしば自分自身の経験を登場人物などの設定に投影させていると聞く。
自分の経験や記憶をオリジナルの「資料」として、新たなものを生み出す種や肥料として活かしている、と言えようか。

「すべての出来事に意味がある」
これは、シナリオを書いていくうえでも、大きな柱になってくれるだろう。
本当に良い言葉に、良い映画に出会えたと思う。

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