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わたしと選挙②

前回、わたしと選挙の長きにわたる因縁の序章を書いた。
今回は、実質的な本編である「選挙権を得てから」編である。

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わたしが選挙権を得た年、くしくも衆議院選挙が行われた。

「選挙日だー!明日はいろんな人に投票できるのよね。当選する人にも…投票できるかも!?」

当時のわたしは、某D社のプリンセスと同じくらい心を踊らせていた。
世間で騒がれる「若者の選挙離れ」には目もくれず、並々ならぬ自立心と一社会人としての責任感に溢れていたのである。

誰に投票するか、立候補を入念にサーチしていたところに、母がやってきた。

「お前は明日、◯◯党の◯◯さんに投票するんだ。分かったな。」

わたしはひどく困惑した。

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わたしの記憶が正しければ、「選挙権とは、一定の年齢に達した国民に与えられる、他者におかされることのない権利」だったはずだ。

がっつりおかされている。

母の顔を見る。
形容しがたい威圧感と緊張感がにじみ出ていた。

紛れもない鬼だった。
本当にいた。

しかし、そこで折れるわたしではなかった。
並々ならぬ自立心とあふれでる一社会人としての責任感が盾となった。

「嫌だ」

母の堪忍袋の緒がぶちギレる音がした。
「お前は明日、◯◯党の◯◯さんに投票するんだ!!!分からないのか!?!?」

それ以降は何を言われたのかすら思い出せない。
ワンオペ育児でヒステリックだった頃の母を思い出した。
こうなったら手がつけられない。
とりあえず黙り込みでその場はスルーした。


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選挙当日、朝からバイトが入っていたが、投票所へ出勤前に連れていかれた。

ただでさえ弱い早朝と母への畏怖で胃がボロボロだった。


投票所は古いが大きな公民館だった。
竣工当時は土足禁止だったらしく、入り口に段差があった。
足元に「土足のままお入りください」と張り紙されている。

その段差を越えようとした時、隣に、言葉は悪いが耄碌していそうなおじいさんがいた。
張り紙が認識できないらしい。
次々と土足で上がる人たちを見て困惑していた。

この時わたしは、どこまで思考能力があるのかあるのか怪しいおじいさんですら自分の意思で投票に来ていることに、羨望と虚しさを感じざるを得なかった。


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とうとう投票の瞬間が来た。

記入台に向かったわたしは、もうパニックのどん底だった。

母に逆らうことへの恐怖。

初めての投票への責任感。

頭が真っ白になり、何も書けないまま硬直したあと、結局母の指示に従ってしまった。


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投票所を出た瞬間、涙があふれでた。
嗚咽が出るほどの泣きっぷりだった。

車に戻ると、先に投票を終えていた両親がわたしを見て絶句していた。

おそらく、なぜわたしが泣たのか、両親は未だに理解できていない。


「…コンビニ寄るけど、何かほしいものあるか?」
焦りのあまり父がそう言ったが、そんなものはもうどうでもよかった。

わたしは、耄碌じじいよりも意志が尊重されない。

その事実を痛感しただけで、悔しくて悲しくて虚しくて仕方がなかった。


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結局その後も母の指示は止まらなかった。
選挙の度に連行され圧をかけられた。
しかし、わたしとて同じ轍を踏むようなことはしない。
2回目は特に推薦したい人がいなかったので白紙で投票した。

「どうせ確認できないのだから気にすることはない。」妹からの助言である。

その後は住民票を移したので、母の呪縛から解放された。
が、未だに「政治」からは解放されずにいる。


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一度町長を経験すると、本人が失脚しても、その部下たちは未だに政治家として働いていることは多い。

先日祖父から「これ、お姉ちゃんの分」と言ってハンカチを渡された。
賄賂だった。

「賄賂ならいらない」

そう拒否したわたしをみて、母は
「お前はおかしい」と言った。


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わたしと選挙の因縁は、結局は一族の因縁だった。
こんな因縁がなければ、母から距離を取ることもなかったのかもしれない。


「若者の選挙離れ」を嘆く声もよく聞くが、正直そんなことはどうでもよい。

わたしは「選挙をしない権利を持った若者」が恨めしくて仕方がない。


おしまい



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