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美人の定義

北川景子のような絶世の美女は、この世に生まれて物心がついて、初めて鏡を覗いた時、
『ヨッシャ!!!』てガッツポーズを決めたんじゃないだろうか、、と妄想する。


tiktok を覗くと、オススメには同じようなダンスを若い子たちが披露してるが、どの子も綺麗で可愛い。松坂世代の私の若い時より断然、綺麗で可愛い子が増えてきているように感じる。でも同時にどの子も似ているようにも感じた。

そもそも、何をもって綺麗、可愛いなのか。
なぞられるのは、芸能人やモデル、今だとインフルエンサーなども入ってくるだろうか。
特に女性はいつの間にか、理由もなく、彼らに憧れ、近くなりたいと努力を試みたりするわけだ。。

女性特有の基にある感覚なのか、それとも世間が創り上げてきた女性の在り方なのか。
志村けんコントのひろみ婆さんことひーちゃんは『女は骨になるまで女だぁ〜よ〜』と言っていたが、こんなに個人の在り方が多様化している現代であっても、女性は、女は綺麗でいなくてはならないという呪縛にどこかで囚われている。

今はYouTubeではメイク動画からダイエット動画まで、なりたい人になれる方法や情報が膨大にあり、若い頃からそれらを手に入れられる環境がある。昔とは大違いだ。私が16歳の時にはじめて化粧をした時は散々だった。方法が分からず、参考もなく、白ラメを目の周りに塗りたくり、まるでシロマブタザルだ。。

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話がそれたが、今はなりたい人に近づく方法がたくさん提供されているように思う。簡単になりたい人を模倣できる環境がある。
でもその分、女は綺麗でいなくてはならないという呪縛に、尚一層囚われてしまっているんじゃないだろうか。tiktok を見ていると誰かのコピペのような可愛い女の子が同じダンスをして、またそれを誰かが見てコピペしている連鎖が垣間見られる。

綺麗になることは良いことだ!
化粧をしたり、ダイエットに成功して新しい服を着ると気分が上がる。背筋が伸びて、足は軽やかに弾み、空がいつもより綺麗に見える。心が満たされる。大好きな人に『あれ?今日はいつにも増して綺麗だね』と言われたら、なお良し。

女は綺麗でいなくてはならないという言葉は、あたかも女性の在り方を美しく導いているような言葉に聞こえるが、女性を楽しみながらなりたい自分になる、とは意味が違う。
模範がいて、皆それにならうようにと言われている様な被害妄想に駆られてしまう。

なりたい自分になるのは、誰かになる事とは違うように思う。
そりゃ私だって、井川遥になれるならなりたい。でも、私は井川遥にはなれない。
例えば顔を整形して、いろいろ、いや…もっといろいろたくさん外見をいじって近づけてもなれない。井川遥があの顔に辿り着いたのは、彼女自身のパーソナルや感覚、考え方、取り巻く人間、今までの人生で井川遥の顔を形成しているのだと思う。

だから、もう井川遥を目指しません!!笑
人生は短い。
逆立ちしたってなれないものに費やす時間があるなら、私は自分のために時間を費やしたい!
自分のこれからの顔は、私の感覚や考え方、今まで培ってきた、またはこれから培う人生、出会う機会や人や物、発する言葉、私の表情で形成されていくんだ!誰かのコピペはしたくない!
毎日を一緒懸命に、愉快に、楽しく、優しく、大爆笑したり、本気で人にぶつかったり、私は自分の人生をかけて自分の顔を形成し、自分だけの美人になる!






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