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上京チンパンジー

4月。さくらが舞うこの季節のにおいは、懐かしいにおいがする。
この季節が来ると、20年前の上京した春の日の事、そしてその日から始まった新しい生活の事を思い出す。

とにかく両親共々厳しく、(塾や習い事の日以外の)門限は18時だった。お蔭様で、高校の時は、周りが「パーティー行かなあかんねん~!」となっていた時も全く交わることができなかった。
だって門限18時で何が出来ますかって?パーティーもOPEN前である。そう・・私の高校生活は家と学校の往復で、地味で干からびていた。当時の私の夢は、「家を出ること」即ち「東京に出ること」であった。地元の大学に行けば実家通学決定!となり、またこの門限システムを大学生にもなって踏襲するはめになってしまう、そうなればまた大学と家を往復する生活、、キャピキャピの女子大学生にはなれず、干し柿の様な大学生になってしまうではないか。私は焦り、恐怖を覚え勉強に励んだ。そしてなんとかかんとか東京の大学に合格する事ができたのだ。もう当時の嬉しさと言ったら…、当時付き合っていた彼氏もいたが、遠距離恋愛がスタートする悲しさよりも、親から離れて一人暮らしをする方が、断然心が躍って狂っていた。

実際に、東京生活は良いもんだった。私は一人暮らしを満喫した。たった1Kの小さな部屋も我が城であった。好きな時にテレビを見て、好きな時にお風呂に入り、朝までゲームしたり、夕方まで寝たり、長電話したり、爆食したり、裸体で過ごしたり、全てが自由だった。初めての自由でもあった。上京した場所が、23区外で地元の雰囲気にどこか似てるほど都会感を感じなかったのも良かったのかもしれない。

しかし自由は手に入れたものの、何もできないまま一人暮らしを始めた私の暮らしは生活としては、まずまず酷いものであった。何も出来ない、分からないまま東京に放り出された女は、生活の知恵はほぼ0なので、レベルとしてはチンパンジーからのスタートであった。

チンパンジーもチンパンジーなりに工夫した。
料理は全く出来なかったが、とにかく炭水化物が大好きだったので、お米さえあれば、「ごはんですよ」や卵を投入するだけで満足できた。焼うどんも野菜がもともと嫌いだったので、具なしを喜んで食べていた。
ガスコンロはIHヒーター1つだったのだが、当たり前のように普通の鍋を買って加熱出来なかった時はパニックになった。それでIHヒーターの間に挟む鉄板みたいなのを使えば、普通の鍋も使えると知った。レベルアップである。早速買った。
「ほっほ〜。しっかり加熱されるじゃない。」
安心して料理終了後、鉄板を外し台所の真横に設置された洗濯機の上にとりあえず置いた。
翌日、鉄板の高熱で、鉄板と洗濯機の蓋がくっついてしまった。無理やり剥がしたら、蓋に穴が空いてしまった。使用には支障ないけど、お陰で4年間、穴あき洗濯機を回していた。
あとは電気をよく止められていた。これは怠慢な性格のせいだけど。
とにかく失敗ばかりをし続けて、0.1歩ずつ覚えて、勘違いして修正していった4年間だった。
チンパンジーは原始人ぐらいになれたのかな。

そうそう、憧れのパーティーにも行った。
キラキラした世界に目を奪われつつも、この人たちは、パジャマを着て就寝する時間に、「フー!フー!!」と叫びながら踊ってて、大丈夫なのかと心配もしたが、直ぐに打ち解けた。

大学も大学外でも友達ができた。遊びに来たり行ったり、泊まりにきたり、居ついたりもされた。自転車で深夜に友達の家に行ったり、課題を終了した後に、家の近くの安楽亭で飲んだり。
実家では経験出来なかったことばかり。

全く知らないことや、見たことないことに驚いて、戸惑った。でもドキドキワクワクした。知らない風景や、地元にいたら会うことの出来なかった人達にも出会えた。静まりかえった夜の匂いも、夕方の電車から見える住宅のせわしい風景も、ベランダのタバコのにおいも、オールした冬の朝の心地よい冷たさも、、知ることができた。20年も前の話なのに思い出すことができる。

私の上京は、「ここ東京?」という場所だったし、何も成し遂げることができず、あっぱらぱーな4年間だったけど、今までの人生で一番自分らしく、心平和な時期だったように振り返ると思う。あの時は思わなかったけれど。

4月の暖かい夜になると、20年前の上京した春の日を思い出す。一瞬で終わる時期を、これから始める若い方々を少し羨ましく思う季節である。

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