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デトックス?



苦手な人は自分の欠点を矯正してくれるために、神様とか運命が遣わしてくれたのだから、そう思えば感謝して付き合える、なんて言われる。

私も、クリスチャンの端くれとして(一応そうなんです)、そう思うようにしてきた。聖書にも書いてあったと思う(憶えていない)し。

しかし、神様それはあんまりだとこの頃思う。

そんなの無理!と思う。

私のnoteによく来てくださる方には、もうお分かりかと思いますが、ご名答、義母である。


この人に感謝しなきゃならない?

うーーーーーーーーん。


確かに、この人とお付き合いしていると、自分の嫌な性格が浮き彫りになる。ああ、私ってこんなイヤな性格だったのか。こんな意地悪しちゃうのか。なんて皮肉屋なんだろう。つめたいな。うそつき。

簡単に、自己嫌悪の塊になれる。

人間だれしも、掘り返せばこんな暗黒の面はあるものじゃないか?
だけど、何事もなければ、一生だってしまっておけるでしょう?

この歳になるまで、気づかずにいたのに。
気づかずに人生終われないのか?

カンレキという節目まできて、わざわざ「おまえの悪いところだよ」って
知らなかった闇をなぜ提示されなきゃならないのか。

あと60年、知らないまま生かしてくれたってよかろうに。
(120歳まで生きる予定なので)


義母の立場で考えれば、あなたの各種の暗黒面、
私の生活意欲さえ奪いそうな暗黒面を
あなた自身が知らないままで、どうやって86年間生きてこられたんですか?

私がいちいち「あなたのこれとこれに私は傷ついてます」とか
毎日のこういうことが、すごくすごく苦痛です、って教えたとしても
自己嫌悪の塊には、なってくれそうにない。これはなんでだろう。

多分、ぜんぜん響いていないのだ。

お互い、どうしても変われそうにないものでぶつかり、イヤな思いをして
毎日を過ごして行く。

それに感謝できるとは思えない。
だから私はこの頃、逃げてばかりいる。

一番、感情が交錯するのは、2人でのお昼の時間だ。
だから何かとウソをついて逃げている。

「友だちに誘われた」「急用思い出した」
昨日は、お昼ができたよーと義母に声はかけたが
ついに、PCに貼りついたまま、テーブルには着かなかった。
キーボードの音をことさら忙しそうに鳴らして「今手が離せないんだよ」とアピールした。


そんな自分を未熟で子どもっぽくも感じるが、もう同居して10年だ。
よほど、相性が悪いんだなと、割り切るようにしている。
そのことでどう思われようが、もういいや。

逃げていても、ぜんぜん気分はよくない。
でも、顔を突き合わせているよりも体にはいい気がする。


義母と同居してよく思う。
「悪い人」っていないんだと。
だたあるのは「相性の悪さ」なんだな。
ぶっちゃけ、わしら、めっちゃ悪い(笑)


それで、年の功なのか性格なのか座右の銘なのか
義母は私についての不満や「ディスり」は多分一切しない。
誰にもしないんじゃないかな。
いつも飄々としている・・・かなわない。

きっと「ものは考えよう」で、自分に都合がいいように、受け止めている。
そういう習慣が出来ている人なのだ。
素直に考えれば、人として、尊敬すべき態度なんだろう。

しかし、私からは、トボケている、しらを切っているとしか思えない。
つくづく、合わないんだな、この2人。

てか、私のひとり相撲なんだなぁ・・・ムカッ!!

吐かせていただきました。
お目汚し、お許しください<(_ _)>


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