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愛したひと、愛された日々

 ぼくは写真を撮るのが好きです。特にひとを撮るのが好きで、六年前にカメラを買ったきっかけも、友人や恋人との時間を思い出として切り取るためです。
 写真ってすごくて、撮ったそのときの思い出が鮮明にその一枚に残るんです。これ撮ったときって確か直前に大笑いしてたよね、とか、このあと食べたたいやきめちゃめちゃおいしかったよね、とか、そのときの気持ちをそのまま残す気がしています。

 当然のように前の彼の写真もたくさん撮りました。というのは嘘で、彼の写真はあまりありませんでした。お金がないが口癖で、インドアな彼とはあまり遠出はしなかったし、ぼくはだいぶマイペースなのでひとりで行動するのが楽だったからかもしれません。二週間に一回くらい一緒にお出かけしていましたが、手をつないで歩くのが嬉しくて、写真に残したいという気持ちよりも隣を歩いていたい、すぐ横でそのおもしろくない話を聞いていたいという気持ちの方が大きかったんだろうと思います。

 そういえば、彼はぼくのことをよくマイペースだねと言っていました。実際ぼくは昼夜問わずなにも言わず家からふらっと出かけたりするし、同じフロア内や建物から隣のカフェに勝手に移動しちゃったりするし、そういう部分があるのもよくわかってます。はぐれたって待ち合せればいいし、お互い大人なんだからどうにかなるじゃないですか。そもそも、ぼくがそれをやるのってひとりでいるときかひとりにされたときだけです。旅行中に不機嫌になったり、一緒にご飯食べてるのにスマホばっかりいじってる、そっちの方がマイペースじゃないか。なにかあったら言ってねって言ってたくせに、なにか伝えても聞いてくれないじゃないか。

 そういうわけで出先で撮った写真はあまりなくて、家の中で撮った日常の写真がパソコンの写真フォルダの中にいくらかありました。好きだったなあと思いました。その彼は特別容姿に長けてるわけではないですが、それでもまだかわいいなあ、かっこいいなあって、その肌の質感とか、笑い方とか、あったかい匂いも、あのときこんな話したなとか、よみがえってくるわけです。

 写真を消そうが残しておこうが、もうこの先の人生に彼がいないという事実は変わりません。それなのに、消したくない、消しちゃったらもう本当にさよならなんだという気持ちになりました。既に本当のさよならは終わっているし、そんなこと、わかっています。

「その服気に入ってたでしょ、あげるよ」
 同棲を解消することが決まり荷物を整理しているとき、彼はそう言って、いつもぼくが彼から借りていた部屋着をくれました。
 その部屋着にはポツポツとカビがはえています。一人暮らしをしたことのない彼は家事としての日々の洗濯をしたことがなかったから、まわした洗濯物を洗濯機の中に数時間も放置するというのをよくやっていました。お母さんのような小言は言いたくなかったし、何回も失敗して自分のやり方を見つけるしかないよなと思っていたので、とやかく口は出しません。白地の上のポツポツを見ながら、そんなことを思い出して、また心を閉ざしそうになります。

 彼の写真も、彼からもらった部屋着も捨てました。

 写真のデータは削除、部屋着はゴミ袋にポイです。部屋着についてはお手洗いの床をふくのに使いました。
 写真を消したり部屋着を捨てたりする決心がついたのは、おそろいで買ったマフラーをなくしたからです。黄色とグレーのバイカラーで、結構気に入っていました。物に罪はないので、気に入ってるものは捨てない派です。そうだったはずなのに、今回はだいぶモヤモヤしてました。思い切って捨てたいけど、気に入った次のマフラーも見つかってないしと惰性で持っていたのですが、ある日ついにぼくの手元からいなくなりました。なくしたことに気が付いたとき、ほっとしているぼくがいました。
 もっていて笑顔になるものであれば捨てなくてもいいし、悲しくなるなら捨てればいい。捨てるのが苦しいなら、苦しくなくなるときまで待てばいい、単純なことでした。そう思ってからは心が軽く、ちょっとだけ前に進めた気がしました。

 その数日後、彼の同じシルエットの男が女の子と手をつないで歩いているのを見て、ズキりとしました。その男は間違いなく前の彼ではないのですが、前の彼の隣をいつか他の男が歩いて、彼はあの笑顔をむけて、おもんない話をして、あの声でその知らない男の名前を呼ぶ、そんな想像が走って、胸が痛くなりました。どうやらまだ全快はしていないようです。

 まんまん万が一、彼がいま目の前に現れて、だめだったところ全部直すから、もっかいよりを戻そうって言ってきたとしても、ぼくは絶対によりを戻しません。もうあんなふうに傷付きたくないし、みじめな思いもしたくないし、将来に不安を感じたくない。ぼくはぼくの人生を生きて幸せになるから、もうぼくの人生に一秒たりとも登場しないでくれと思っています。

 じゃあこの未練の正体ってなんなんだってことなんですけど、二つあると考えています。
 それはもういない、変わってしまう前の彼、もしかしたら変わったんじゃなくて、そういう一面を知らなかっただけかもしれませんが、その頃を取り戻したいという気持ち、つまりいま存在していない虚像への執着という側面がひとつ。これはだんだん消えてきている気がします。別れを決めた段階で受け入れました。
 そしてまだなかなか消えないもうひとつ大きなものは、傷なんじゃないかなと思います。ぼくから別れを告げましたが、それはたくさん傷付いて、この先一緒にいて嫌な思いをし続けるのは無理だと思ったからです。その傷が痛い。あなたがその彼を忘れられないのは、まだ好きだからじゃなくてたくさん傷つけられたからだって、りゅうちぇるも言ってましたね。そもそも、次の恋が億劫になるような気持ちにさせる男、いい男なわけがないんです。

 思い出すのは、愛したひとでも、愛された日々でもないのかもしれません。

 先日、元彼への未練を楽しむ、そういう生き方が好きだと書きました。しかしながらどうやらこれは未練ではなく、怪我のようです。楽しんでる場合ではありません、ぼくはぼくのことが大切なので、一刻もはやく癒してやります。そういう生き方が、好きです。


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