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怒れない人生の弊害

厳格な両親の下、「私が悪い」「私は間違ってる」という大前提で暮らしてきた。
私を攻撃する人は「欠点を正してくれる有難い存在」と教わった。

「お前を思って一生懸命してくれてるんだから落ち込むな。何でも飲み込まなきゃ成長できないぞ?」

それが両親含む周りの口癖。

「嫌だ」「苦手」「傷付く」と口にすることが許されなかった結果、
私は攻撃されれば真っ先に自責に走り、謝罪か愛想笑いでやり過ごす癖が付いた。
そして後から湧き出る怒りに苦しむことになる。
「今更」と解っていながら、鎮めるのが難しい。

何より忘れてはいけないのが、「私が悪い」⇒「これは正しい行為」と思い込み、
他人に同じ攻撃をして怒らせてしまったことだ。
「自分がされて嫌なことを他人にするな」とはよく聞くが、
私は「されて嫌なこと」が長年判らなかった。
「酷いことをされたら怒る」……これが常識の範囲で許される環境で育ちたかった。

先日読んだ書籍に「ありのまま愚痴るなら悪口ではなく事実」と書いてあった。
(あの人はみんなに好かれてるから…)と口を噤んできたが、それは自分の気持ちではない。
誰かに話してもよかったのだ。

もっともっと、嫌なことは嫌だと言いたい。
自分自身に素直になりたい。

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