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水曜日の明け方、これは死ぬかもしれないと思って緊急外来に行った

月曜日から身体に異変は起きていた。違和感を覚えて、朝方の早い時間に起きる。お腹が痛いのだ。どう痛いって、ガスが溜まって圧迫感がある感じ。痛いというより、苦しいという方が適切な表現だ。生理前だし、前日車で出かけていたのもあったので、そのせいかと考えた。海に行ったから、不調は熱中症だとも考えた。脱水症状でもあれば、点滴で治るだろう。そんなふうに、その日はうつ伏せでゴロゴロしたり、意識的にお腹に圧力を加えたりして過ごしていた。ただ、何をするにしても一向によくなる気配がなく、全体的に体が怠くて一日中伸びていた。寝れば治ると信じて。

しかし、次の日も朝方に目覚めるなどして状況は変わらない。変わらないどころか、悪化していた。押しても何も出ない。苦しい。お腹が膨らんでいるのは、食べ物のせいじゃないのかも、そう思い始めた。畳み掛けるようにして昼ごろに微熱が出る。とうとう私はCから始まる、最悪のケースを想定し始め、実家で家族と隔離する準備を進めていた。ただ、これは私の心配のしすぎで、夜には熱もなくなっていたので、これまた寝れば治ると信じてその日は寝た。

水曜日午前3時59分、目を覚ます。また起きてしまった!眠いので寝直そうとするも、徐々に強烈な腹痛と吐き気が湧き上がってくる。吐いても何も出ないけど、えづいてしまう。苦しい!痛い!死ぬ!痛み止めを飲んで、少し寝てからクリニックで見てもらおうと考えていたが、とんでもなかった。そんなオープン時間の午前9時まで待っていられるほど、悠長な状況ではなかった。明らかに、お腹の胃の部分が腫れている。腸も腫れていて、膨らんでいる。『エイリアン』のスパゲッティを食べた男は死ぬ間際、こんな痛みを味わったんだなと同情した。うーんうーんと、呻きながらベッドを寝返ってのたうち回る。側から見たら完全にパズズに取り憑かれた少女だ。私は思った。「これ、もしかしてマジでヤバイかもしれない」

流石に隣の部屋で寝ていた両親も異変に気づいて起きてきたので、緊急外来まで車で送ってもらうことにした。この頃、もう尋常じゃない痛みのあまりに呼吸困難に陥っている私。電車に乗っていて貧血で過呼吸になりながら、視界が白くなっていくあれ。あの空間にずっといるような感覚だった。

病院についた頃には、立つ事も難しく、息もできなかった。緊急外来の待合室で、椅子にしがみつきながら目を閉じて、痛みが和らいだのか私の意識が遠のいているのかわからない状態のまま暫く待つ。向こうで夜勤の看護婦さんたちの井戸端会議の楽しそうな声が聞こえる。どっかの先生の悪口を言っている。気持ち的には『コードブルー』みたいなスピード感で「やばいぞ!患者を救え!」と、山Pかガッキーみたいな人がすぐに飛んで来てくれると思っていたから、現実は世知辛い。

ついに看護婦が来て、別室に移る。移る時も倒れる寸前で、ベッドに横たわると余計感じる痛みに悶えながら、ここ数日の状況説明をする。目は痛くてぎゅっと瞑っていた。開けていると、目から痛みがダイレクトに入ってきそうだったからだ。触診を複数の先生がする中、採血をされ、点滴を打たれる。久々の採血の痛さに、もうすぐ26歳になるというのに仰け反ってしまった。ちなみに先日、かの有名な占い師しいたけさんが天秤座を「普段はキビキビしてて頼れるのに、たまに5歳児になる」と表現されていて、その通りだと天秤座ながらに関心した。まさに私はこういう時に5歳児になる。

採血をする際、私はいつも血管が取れない人で、献血もそれが原因で断られたことがあることを看護婦さんに伝えた。今年の4月、初めて献血に行った。誰かの力になれればという気持ち半分だが、本当は自分の血液型が知りたくて向かった。そう、私は25年も生きて、未だに自分が何型か知らない。ずっとO型のつもりで生きてきたけど、AB型ならまだ納得し受け入れられる。しかしB型なんて言われたら、今までの人生なんだったんだろうとアイデンティティクライシスに陥ってしまうだろう。そんな不安と期待を抱えて行ったのに「血管がとれないから無理」と追い返されてしまった。その時の悲しみも忘れない。

暫くして、CT検査をすることになった。ベッドごと別室に移動となる。待合室にいた母親も、そんな検査を受けることは想定外でビビったことだろう。移動中、目を開けた。蛍光灯の光が、電車に乗っている時に見える街の光のように過ぎていく。点滴で流していた痛み止めが聞いてきて、少し楽になっていた。

さてCT検査の部屋にくると、這って台に乗り移る。そして私のショートパンツに金具があることが原因でズボンを下ろされ、パンツ一丁に。両手を上げてくださいと言われ、痛みで汗だくになっていたから汗拭きシートで吹いたものの、脇臭くないかな?と不安でいっぱい。先生ごめんなさいと心の中で謝った。バンザイをした私を乗せた台が、ゆっくり頭上のアーチ状の機械の中に入っていく。実は私はこれまで、大きな怪我も病気もしたことがない。まさか自分がテレビドラマで見るような、この機械の中に入っていくなんて!そんな風に圧倒されながら、機械から発せられる指示にしたがって息を吸って、止めて、と繰り返していた。

CT検査をやるとなってから、私の脳裏には再び「あれ、もしかしてマジでヤバイのかも」というシグナルが発せられていた。人間、自分の生命の危機、つまり死を体験したり感じたりする時は「死ぬ!」とすぐ直感的には思えないのではないだろうか。普段とは何かが様子が違う状況の中、徐々にそれを理解していき「あれ、もしかしてマジでヤバイのかもな」という、心持ちで感じていくのではないだろうか。やばい、死ぬかもしれない。

検査が終わり、別室で結果を30分ほど待った。母が隣にきた。これまで病気も怪我も、手術も入院もしたことのない私。生理だって、バカみたいに毎月予定日に絶対来る。体重もそこそこあるし、脂肪と筋肉の量も(脂肪は特に)申し分ないぐらいある。ザ・健康体だ。しかし、確かに私はここ5年……いや6年……7年は健康診断を受けていない。20代後半に差し掛かり、そろそろ人間ドッグを一度ぐらい受けておいてもいいだろうと思う以前に、健康診断を受けていないダメな人間なのだ。もしかすると、表面上は健康的に日々生活していたのに実は隠れた腫瘍とか、何か大きな病疫が静かに体内で育っていたとしたら。ドラマでもよくある。「私に限ってそんな!」という活発な主人公が、偶然何かの事故で入院し、その検査で実は病気が発見される。椅子に座った先生が診断書を一瞥し、口元に手を当てながら病名を口にする。カメラは主人公の目を見開いた表情をクロースアップする。再び、先生に戻り、彼が指先でスキャン画像を指しながら説明をする、あのシーン。

そんなことを考えていたら、看護婦さんが「もう少しで先生が説明に伺いますからね」と言って去っていった。「説明」。やばいぞ。先生は私に何か説明しなければいけないというではないか。いや、どんな結果であれ説明は必要だが、その「説明」という言葉の重みは異常だった。どこが悪いんだろう。胃なのか?腸なのか?大腸癌なのか?摘出手術をするのか?そうなると医療ドラマでお腹にメスを入れる時の映像が勝手に思い浮かんでくる。人間のお腹の皮膚は、本当にあんな風に厚いのだろうか。はたまた、子宮か?摘出しなきゃいけないのか?そしたら子供は産めなくなるのか?そんなのとても辛いけど、もしそうなったらパートナーと相談して養子を取ろう。『エスター』みたいなヘマは絶対しない。いや待て、そもそもパートナーって誰?私、結婚できるの?7年も健康診断サボって結婚相手もいない25歳の私って、結構やばくない?ウェディングドレスか白無垢かわからないけど、両親に見せてあげられないのか?それ以前に彼らを残して先に子供の私がこの世を去るなんて、そんな悲しませることしたくない。生きろ、生きるんだ私!

先生が来た。触診をした先生とは別の、若い天然パーマの先生だ。歳も近そう。曰く、血液検査の結果は至って正常。むしろミネラルのバランスも含めてとても健康とのこと。そしてCT検査の結果だが、子宮含めてお腹の臓器はオールオッケー。ただ、胃と腸が腫れている、浮腫んでいるとのこと。しかし基本的には、これまたザ・正常だった。診断は、胃腸炎だった。実は、私はお腹が普段から弱い方で、ストレス性、ウイルス性の両方で定期的に胃腸炎を拗らせる。今回の痛みは過去とは比べ物にならないものだったので、より大きな何かだと思っていたが、そうか、胃腸炎か。助かった。

先生も拍子抜けしたように、それ以上話すことはないと、むしろさっさと帰れという具合に部屋を後にした。残った看護婦が私の点滴を取ろうとしていた。「死ぬかと思った」、そんな経験は何度もすることではない。胃腸炎のくせに大袈裟だと思われるかもしれないが、あの痛みは放っておけば確実に呼吸困難に陥って死にかけるものだった。良かった、割と健康的な体で未来を歩んでいくことができる。これからの人生、悔いのないように生きよう。そして健康診断に行こう。「これからの人生」でふと思い出し、私は看護婦さんに力なく尋ねた。

「さっきの血液検査で、血液型ってわかりますか……?」

笑われた。

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