見出し画像

何もわからない動ける認知症はマジで手ごわい

みなさん、こんにちは。
いつも私のいろんな投稿記事を読んでくださり、ありがとうございます。

今日もいろいろあったので、出来事をつらつらと書いていこうかなーと思います。気長にお付き合いください。


我が家は二世帯住宅っぽい作り

今私が住んでいる家は、実母の実家なのですが、お金が貯まると増築、増築を繰り返してなかなかサイズの大きくなった家なのであります。

もともとは私の祖父と祖母が小さく建てて、祖父が出稼ぎで溜めたお金が貯まると改装・増築し、現在認知症の伯母の稼ぎが主になってくると「良いもの思考」の伯母はたいそうな部屋を作りたい、いい家にしたい、ということで、いい部屋をさらに増築。気が付けばこんなに広い家になってしまっていた状態。

ざっくり我が家

玄関も二つあるので、伯母がいる部屋の玄関は外に出られないようにいろいろ工夫をし、もうひとつの玄関で私たちは出入りをしています。また、伯母が出かける際ももうひとつの玄関を使うようにしています。

家が広いにもメリットとデメリットがあります。

メリットとしては、広いと他の部屋へ逃げられること。伯母を遠ざけて自分の時間を作ることができます。
何をするにもストレスがたまるような伯母の行動は、たとえ何をしていてもこちらにストレスが必要以上に溜まります。例えば四六時中、大声で記憶の中の誰かとおしゃべりしている側で仕事なんてできませんし。

特に母は料理中に、伯母をあしらいながら調理を進めるのに本当に毎日苦労しています。隙あらば手がでて、キッチンにあるもの何でも口にしてしまうので。安易にその場を離れられません。

冷蔵庫のものも何でも食べてしまうので、紐でしばったりして対策をしたり、うちの場合は広い利点を生かして冷蔵庫を3台体制で運用しています(笑)食べてほしくないものは、母と私が居住しているほうに置いている冷蔵庫にすべて入れ込んでいます。最悪食べられてもしょうがないか・・・ってものをキッチンのメイン冷蔵庫にいれておき、最後の一つはダミーです(笑)ダミーは別に新しく買ったわけじゃなく、引っ越し前に使ってたものを処分せずに引き続きおいて使ってるってかんじです。ダミーにも少しははいっていて、母の缶ビールだったり空けるのがむずかしそうなドレッシング類やビン詰めのものたちが中心です。

デメリットは、しょっちゅう様子を見に行くわけでもないので伯母から目を離す時間が長くなります。なので、ひょいと様子を見に行くと、糞まみれだったり、わけわからず服がびしょびしょの状態で寝ていたり、口に食べ物ではない何かが入っていてもぐもぐしていたり。

事件が発覚するのにタイムラグが生じてしまうことですかね。

あとは、水回りがすべて伯母の居住スペース内にあるのですが、お風呂入っている時にしょっちゅう電気を消されたり私の着替えやスリッパをどこかへもっていってしまうので、内鍵がかけられない洗面・浴室スペースに外側から突っ張り棒を母にしてもらってるんです(笑)

で、私は長風呂派なので、入浴が終わると母にLINEをして、その突っ張り棒を外しにきてもらいます。私たちの居住スペースからこれがまた遠いんですよね、端と端なので。

トイレも遠いので、漏れそうー!って駆け込もうとすると伯母がついて来て無理やりすごいちからで一緒に入って来ようとするし(最近なぜかトイレ一緒に入ってこようとする)、トイレの内鍵をかければいいじゃんて話なんですけど、そうすると風呂と一緒で電気消されるし、ドアもガンガンたたいてくるし。

早く用を足したいときのトイレ前の、伯母を別室に促す時間というのがこれまた漏れるか漏れないかの私の命取りになってるんですよね、今(笑)

いろいろと書いてきましたが、広い家でもメリットばかりじゃなく、いろいろとデメリットはある、ということですけど、それでも例えば2LDKなどのアパートにこういう状態の認知症家族と四六時中一緒にいなければいけない状況の介護者さんは、本当に気が狂うような思いなんだろうなぁ、と推察します。

それにうちはワンオペではなく、オペ(母)+お手伝い(私)ってことで、一緒に介護をする協力者がすぐそばにいるわけです。

これって、デカいと思うんです。

で、今日の出来事。

母はお花が好きなのですが、庭に咲いていたスイセンの花をキッチンの一角にちょこっと飾っておいたんですね。

そしたら、それを昨夜のうちに伯母が食べてしまったようで、翌朝伯母の寝室は下痢糞まみれ。ググったところ、スイセンには毒性成分が含まれているとのこと。

母は、「ちょっとお花でも飾ろうと思っただけなんだけど、それが行けなかったね・・・」と少々落ち込み気味。

しかも、おむつ交換の時に汚物を触らないように私が伯母の手を握っているのですが、やめろやめろって、ひさしぶりに私の顔をつねられました。

昼すぎまでおむつ交換は続き、洗濯は続き・・・・。

要は、母が悪いんじゃなくて、認知症も進むと「マジでなんでも食べる」んですよね。

さすがにこれは・・・とか言って話題にしてたものがある日気づくと食べられてしまってたことがどれだけあったことか。

母がとっても頑張ってくれていたので、私はスーパーに行って母のために甘いものを買ってきました。母は喜んでくれました(笑)

年々…ではなく日々刻々と進んでいく症状

やっかいなのは、水回りがすべて伯母の居住スペース内にある、ということです。ここで「あれがない、これがない」という事件は本当に毎日やっかいなのです。

キッチンのガス台にある五徳、わかりますか?あれが今、毎日どこかになくなっています。テーブルクロスがすべてはがされていたり、あの食器がない、コップがない。お箸がない、スプーンがない。

食器用スポンジがない、洗剤がない(洗剤を飲んでしまったことも)。消臭ビーズが空っぽ(消臭ビーズも食べてた)。お醤油さしがからっぽ(飲み干してた)。オリゴ糖がまるごと一本からっぽ(飲み干してた)。

これから調理するつもりでキッチンへ「ちょっと」置いておいた生肉。別部屋に忘れ物をして取りに行ってくる間に生肉がない(食べてた)。

トイレの多機能スイッチも壊してしまい、便座を温かくすることができなくなったし、壁につけたスイッチボックスもぶっ壊しちゃって使えなくなった。ウォシュレットもぶっ壊れて、ただガーガー音をたてているだけ。

とにかくなんでも壊す。

一晩中、水道の蛇口から水がマックスで出っ放し。お風呂の水も一晩中出っ放し(これはたまにあるくらい)。

お風呂にうんこしてあることもあった。さらには、浴槽の水抜き穴に丁寧につめてあったり・・・。

これらはすべて、水回りで起こった困りごと事件。

他の場所で起こった困りごと事件も、まだまだたっくさんありますよー(笑)

つまりは、もっと体が弱りきって動くことがままならないって状態にまで進まない限りは、アタマの状態だけひたすら倍速のスピードで症状が進んでいくわけでして、この「わけわからん状態のガシガシ動ける最強の認知症」状態はまだまだ続くってことなんですよね…。さらにはもっとバージョンアップしていくっていう。

認知症家族に関する対策や工夫は各家庭それぞれ

うちは広いのでたくさん間仕切りがあるのですが、各所の引き戸に突っ張り棒を使っていたり蛇腹カーテンを取り付けたり、朝起きると伯母の居住スペース内のすべての電気がついていたりするのでスイッチにガムテープを貼ってみたり(はがして電気をまたつけるのですが)。

今はもういじらなくなりましたが、食器棚のトビラが開かないように紐でがちがちに縛るとか。

こっちは疲弊しながら、あーだこーだ試行錯誤するのですが、軽々と破られてしまうんです。

そして、当然ながらそういうお家では「節約は一切できません」

節約どころか、一晩中電気つけっぱなし、水出しっぱなし、食糧がダメになってしまった、モノが壊れて修理しなくてはいけない、汚れてしまって新しいものを購入しないとだめなもの、などなど。

お金がかかる方向へ進んでしまうのもひとつの事実です。

お金がすべてを解決してくれるわけではない

現状思うのは、

  • 独身子なし家族なしの伯母にとって「すでに離婚した妹」と「独身の姪」が自分のために一緒に住んでくれてまじでよかったよね

  • ここまでしてくれる人、あまりいないと思うよ

  • しかも私くらいの年代はだいたい家庭もってて、子供もいるしね

  • 伯母の世話どころじゃないって人が多数でしょう

  • 面倒をみるのが私の母だけだったら多分絶望的な状況だったよね

ってかんじです。

アルツハイマーになる前の伯母は正直、学歴・名声や肩書き・お金至上主義者。

「お金があれば老後一人だとしてもどうにでもなるわよ。人の世話にはならない。」

っていう人だったんです。

でも、ちがったよね。

いや、ある意味どうにでもなったわけだけど…お金があったからこうなったわけじゃないよね。

お金は確かに持っている人でしたが、私たちがお世話をするために家の内装工事にほとんど使うこととなりました。家や庭の外見だけよくて、中はさんざんで生活できるようなかんじではなかったのです。

世話をしながら一緒に生活をするには、全ての水回りの改装は必須でした。風呂も古い、トイレもこわれている、キッチンもひどい。
おまけに雨漏りがする屋根。それもすべて修理しました。

例えお金があったとしても、そのお金をどう使っていくのか、どういうサービスを使うのか、だれがどうあなたの面倒をみていくのか?それは誰がするのか?誰が考えるのか?

そもそも論、人は誰の助けもなく生きていくことなんて絶対にできません。

どんな形であれ、どこかで何かしら人の世話になっているのです。

そしてこのように書いている私自身も、伯母の世話にめちゃくちゃなっていました。いろいろ、本当に助けていただきました。影響もうけました。すごい人でしたから。

そういう感謝や恩みたいなのがあるので、母と協力して伯母のことを考えていこう、そういう考えに至ったわけであります。

だからうちには今、マジでお金はありません(…お金ほしーよー)。

行政のサービスや支援をできるだけ使いこなし、負担を軽くしてく努力をしています。

お金があっても、こうやっていろいろ調べる係の私、メインで世話をする母。
私たちがいるから、いろいろあるけど伯母はそれなりに快適に過ごせているわけです。しかも、大好きな家で。

これは、お金だけじゃ叶うことはなかったと思います。

伯母も家族全員、家でみてきました。最後も家でみとりました。

そうして伯母は残されました。

この状況をどうとらえるかは人によりますが、お金至上主義だった伯母は母や私にたくさんの支援をしてくれた事実もありますし、多岐にわたり応援もしてくれました。危機的な状況の際も助けてくれました。

ってことで私たちは、伯母と一緒に住もうってなったわけですね。

お金はあるに越したことないけど、一番大事なのは「助けてあげよう」って思ってもらえるようなことをこれまでどれだけやってこれたのか。

もちろん、何をやるにも「将来面倒見てもらいたいから」と考えてなにか行動を起こすような人はいないと思います。

そういうこと抜きに、人のために愛情や思いやりを持っていろいろ役に立とうとしたり手を貸したり、話をきいたり。そういうことが当たり前にできる人って、最終的には「感謝」として何かしらの形で返ってくるように世の中できてるのかもしれないなって、そんな風に思います。

人間関係苦手なのはわかるけど、それじゃ詰むと思う

今、人間関係が煩わしい、人と関わるのがいや。もしくは苦手だから極力関わりたくない。

こういう人が増えてると思いますが、人と関わらないということは、人との関係性の中で感謝が生まれることもないし、「この人のためになんか助けになれないかな」って自分に対して思ってくれる人も永遠に生まれないのでは。

つまり、孤独になる・孤立する人がすごい増える。

一人が好き、孤独は嫌いじゃない。むしろ居心地がいい。気がラク。
そういう人もいると思うし、私も一人はすごく気楽で好きなタイプ。

でもそういうことが言いたいのではなくて。

人は、一人では生きていけないんですよ。

私はネットよりリアルの方が好きですが、ネットでも存在するのがAIやチャットBotとかではなく生身の人間なのであれば、同じように関わりを持ちたいなって思います。(noteでも結構コメントとか平気でします)

・・・・・

とりあえず終わりが見えない最強認知症介護ですが、母と協力して適度にこなしてゆきます。

ちょうどショートステイの受け入れ先が決まったことだし、春先には母と温泉旅行に行こうとすでに計画を進めています(キラキラ)!

この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?