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「特別な人間」というラベリング

カテゴライズについて私のいろいろな考えや感じ方を書かせていただいております。

↓↓例えばこんな記事。

内容については「それを自分で言う?」っていう違和感などを書いているって感じです。

そんで、これらは「自分以外の人がそうなんじゃないか」って視点じゃなくて、「自分も含めてそうなんじゃないか」って視点ですべて書いているので、自分とその他の二元論で考えているわけでは決してないことを前置きしておきます。


「自分でいうのもなんですが」の中にある違和感

その人自身も「自分でいうのもなんですが」って言っていて、違和感ていうのを少なからず持ってるんじゃないかなーっていう私の予測なのですが、その違和感を埋めるための根拠にしているのか、俗に言う心理テストだったりタイプ別診断だったり、そういった「自分をカテゴリー分けしてくれている何か」を使っているんじゃないか、と思うのです。

「ほら、私こういうタイプだって結果でてるし」

みたいな。

INFJを例にしてみる

そこでまた取り上げてみるよ、INFJを。

公式サイトによると、提唱者型(INFJ)は世界の全人口の1%未満である、と。

まためんどくせぇ私はこう思ってしまうわけです。

「全人口の1%未満になりてぇ」

っつって、INFJに無意識に寄せていってんじゃないかって。

私はINFJです。(=世界で1%未満のタイプに分類される、特別な人間です)

って、これで稀少な人間になれたように一瞬思えるのかな。

でさ、「I」って内向的って意味ですよね。

例えばこのnote、INFJ率多いんです。かくいう私もこうやって書いてるし。

noteでのユーザーとの交流って、外交的行動には入らないのかな、とか。

noteにただ気持ちや考えを書いてるだけだから、別に交流とかないし「I」のうちに入るか…とか。

そういう「どうでもいいところまで深く深く突き詰めようとしてしまう」のも私でございます。

HSPを例にしてみる

今度はHSPを例にしてみよう。

約5人に1人の割合で存在する「生まれつき繊細な人」だそうです。(人口の15%~20%とあったかな)

そして、「私はHSP!私は繊細!人と感性が違うの!特別なの!」と強くアピールする人。←こんなこと思ってはいないけど、こーゆーのと思われることが恥ずかしくて私は名乗ることはしない。ただnoteで自分のめんどくせぇ性格に絡めて書くことはありますよ。

「繊細さん」というキャッチーなフレーズで一躍認知度が高まったHSP、私はまさにそれなんだよ!と。

鼻息荒く「どうだ参ったか」的な・・・は、ちょっと言い過ぎました。何が言いたいかというと、HSPと名乗ることができる自分にちょっと酔ってる状態というか。無意識にマウントとってくるというか。

過去に、すげー困った周りのHSPアピール女のエピソードを書いた記事はコチラ。この人はまるでHSPであることを免罪符のように振りかざしてきて最悪だったわー。

すっげぇうさんくさいなって思う肩書も書いておく

・・・書いてもイイですか?

ヒーラー ライトワーカー エンパス スターシード チャネラーなどなど

とやらの方々。

まず詳細な意味まではよく分かっていないのだけれど、これらの肩書をご自身で名乗っている人を本当に信用できない。(あくまで私個人の話です!)

これこそ、冒頭に書いた「それ、自分でいうの?」って強く思う人たち。

見えない世界とかって、どちらかというと私は信じるほうなんです。

今はもう本当になくなってしまったけど、20代のころは心霊の類とか見えてしまう人だったのですよ。

↑これももしかしたら、「自分でいう?」って他の人から言われるかな(笑)

それに、今の私が生まれるに欠かせない人たちであるご先祖様が大好き。

ご先祖様が私を見守ってくれている、という体感は、自分であったりするんですよ!

で・・・さっきのうさんくさい肩書きの人たち。要は「特別な人間」なわけでしょ。

・・・スターシードって。直訳すると星の種。

誰だって自分にとって自分だけは特別な存在

「個性」だって、別に持っていなくちゃいけないわけじゃない。

なんだか今って「この波に乗らないと時代に乗り遅れる」的なことであふれてますよね。その波ってあっという間に去って、また次の波が現れるんですよ。

正に、寄せては返す波のようです。

そんな中でみんな、特別な人間になりたいんだよなーって感じるし、かくいう私も「ユニークだ、個性的だ、変わっているって言われる私はもしかして・・・」とか思ったりしたこともありましたよ(笑)。

でも、「十人十色」という四字熟語にあるとおり、人はみんなそれぞれ違った特色を持っているという、それに尽きる。

それらの違った10人の中で誰か一人特別な人とされる人がもしもいた場合、一体何をもって特別とされているのか、そこを考える必要がありますよね。

みんな違うのに、その一人だけがなぜ特別なのか。

日本人て、みんなと同じじゃないといけない、はみ出すことがおかしい、みたいな考え方で長い間来たじゃないですか。

そういう考えの社会に育てられて、学校でもはみ出し者は問題児扱い。

そもそもみんながそれぞれ違うのに、他の人と違うとその集団から弾かれてしまう。だから無理にでも周りに合わせる。それが「普通」。・・・でしたよね。

そこから今に至るまでに急に変わってしまいました。やれ、多様性。個性を大事に・・・って。

その代わり方も、本当に急なのよ。

だから人々は焦って、他人との違い、自分の強味、私には何ができるのか。

そういうことについて必死で考えることが多くなってるんじゃないでしょうか。

ころころ変化する時代だから、しかもその速度がどんどん早いから、追い付かなきゃ、追い付かなきゃってなってるんじゃないでしょうか。

で、「わたしには何もない」とかいう考えになったりする。

本当はよーく考えれば、私にしかできないこと、その人にしかできないこと、たっくさんあるんだけどね。
不安で、焦ってしまうんよね。

そしてそれは、わたしには何もないと思い込んでる「自信のない状態(自己肯定感が低い状態)」から、自信を持たせてくれる「最強ワード」。

それが

みんなが気づいてないだけで私は「特別な人間である」というラベリング。

そして、みんなに気づいてもらいたいのですよ。

私は特別な人間なんだよ!!ってさ。

noteにINFJやHSPが多いのって、そんな理由もひとつ、あるんじゃないかなー・・・っていう私の推論でございました。

さいごに

私はHSPだしINFJだし、それらに限らずカテゴライズすることについてあーだこーだ思うことをこうやって書いてる。でも人に言うのはめちゃくちゃ恥ずかしいから声を大にして言うことは絶対しない、でもnoteにはこうやって書く。

これが今のわたしです。

少なくとも絶対「特別な人間」がすることではないよね(笑)

結論、この世界にはいろいろな人間がいるんですね。

※来年、また改めてMBTI診断をしてみようと思います!

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