創作 ①


「群青色の向こう」

今日もわたしは部活を休む。

高校2年生、5月。
私が通う学校は県の中では有名な進学校で部活もそれなりの成績を残す歴史ある学校。ずっと昔から変わらないだっさい制服。そんな学校の吹奏楽部。コンクールの県大会で金賞どまりだけどまあ、それなりの吹奏楽部。うちの部は、始める前に「声出し」をする。ずっと昔からやっていることだという。伝統ってやつ。部長が「自覚とけじめを持つ!」そういうと、みんな、後に続いて復唱する。「自己主張する!」「感謝の気持ちを表す!」
復唱。復唱。
「一音入魂でいきましょう!お願いします!!」「お願いします!!!」
一年生の冬くらいだろうか、この「儀式」が心底気持ち悪くなった。3日に1回口パクして、後輩が大きな声を出しているのが聞こえてくるからわたしはなんだか悲しくなる。自業自得?だってだめなんだ、どうやったってだめなんだよ。自分から1人になっているのに1人取り残された気分。みんながみんな一音入魂しようと思っているのなら、とっくに全国大会いってる、わたしみたいなのがいて、きっとちょうどいいんだ。みんなきっとそう。部活をサボる理由はいろいろで、7限目、その日最後の授業で先生に当てられたけど、答えれなくてへこんだから、とかテキトー。みんなみたいに部活に一生懸命になれない。それは、パート内の関係がこじれているからとかじゃない。あたしが、そんなに部活、好きじゃないんだと思う。サボった日は、屋上にいく。屋上はいつも閉まっていて、鍵のしまった扉の前にぺたんと座る。太ももがひんやりする。ここにも誰も来ないから電気がついてることもなく、扉についた窓からちょこっと射し込む光だけで、薄暗く閉じ込められたお姫様みたいな気持ちになる。天井が高くて鼻がツンとした。グラウンドから声がする。遠いところから声が聞こえる。わたしも遠くになる。わたしはずっと待っている。こんなつまんないところから、連れ出してくれる王子様を、なんて自分で言っといて、子供っぽいな…

闇に落ちる。

「サボったの?」
声が遠慮もしないで降って来た。最近よく出るわたしのドッペルゲンガー。
「サボったよー」
わたしはちょっと力がぬけて、笑みがこぼれる。
「行かなくなったら次もっと行きづらいんじゃない」と、言うので、わたし、近々死ぬのかもしれないって思った。だって、ドッペルゲンガーを見た人は、死んじゃうらしいから。
「知ってるよ」
ドッペルゲンガーは、ゆらゆらして
「ばかだなあ」
と笑う。
わたしは 「おなか痛い」 小さくと呟いた。
今日はコンビニ寄ってアイス買おう。みんなより2本早い電車で。


6月。席替えで斜め前が椎名になった。野球部で、背が高く、頭はそれほど良くはなくてでも、笑った顔が可愛かった。小テストの点数を競ったりした。2人とも低くて勝負にならないのに、毎日毎日競ったし、たくさん話をした。でも内容は覚えてなくて、多分どうでもいいことばっかだったんだと思う。わたしにはやっと、わたしのキラキラが見つかった気がした。椎名がなんでもかんでも笑ってくれるからわたしは全てを忘れてもいいような気がした。部活が始まるまでの朝のホームルームから7限目の終わりまでの時間。7限終わりのチャイムでわたしにかかった魔法が解けてしまう。彼は急ぎ足で部活に行ってしまうから。
「体が脆くなるからお菓子は食べない」
と椎名がへへっと笑ってみせる。
「じゃあ、わたしも食べるのやめる!」
って言ったら、
「お前には無理だろ~」と笑われた。

6月の中頃。
わたしは今年もコンクールメンバーに選ばれなかった。わかっていたけど。自転車で家に帰る途中に少しだけ泣いてしまって、これはなんの涙かなと思う。ちっとも悲しくないのに、わたしって性格悪いんだ。コンクールに出れない人は野球応援の練習をする。野球応援は、出れない人たちだけでやる。吹奏楽部、薄情者。コンクールメンバーはAメンと呼ばれる。私たちはコンクールに出られないメンバーは、Bメンと言う呼び方で、それはわたしを(わたしたちを)ずっと苦しめ続けた。
「Aメンは、合奏です。Bメンは、個人練習。5時半になったら帰っていいです」

「返事小さい!」
「はい!」
…うざ。

7月のはじめ。
5限の終わりに椎名が言った。
「お前って、野球見にくる?」
彼は屈託のない笑顔で何がそんなに面白いのか、少しだけイライラする。椎名は知っているのかな、
「………わたしは、応援行けないよ」
震えた声でそういった。
そうやってまた屋上の扉の前にいて、私はちっとも変われなかった。
「涼しい」
今日もフルートの音が聞こえる。嫌な音。嫌い。小鳥みたいな、でも本当は小鳥なんかじゃなくて、もっと強い、あの子の音。
「野球応援の練習は行かないの~?」
ふわふわと楽しそうなドッペルゲンガー。
「行ったら、バレるじゃん。」
嘘がバレたら嫌いになるかな。
「嘘バレたら嫌われるかな」
「嫌わないよ」
「彼は試合に出るかなあ?」
わたしのこと
「出ないよ」
早く殺せばいいのに。

夏休み。
毎日部活があったけど個人練習の時だけ行って合奏の日は図書館にこもった。Aメンの同級生と顔を合わせたくなかった。勉強はしなかった。わたしとおんなじ境遇の女の子が主人公のお話がないか、ひたすら探していた。何に悩んでるのかも漠然としていてわかってないのにそんな話は見つからなかったし、それに、だれとも会わなかった。図書館に行った日はカレンダーにバツをつけた。


あの子が、フルートパートみんなでかき氷食べに行こうと誘ってくれた。わたしはいまさら行けないと思ったけど、ここで行かないと一生行けないよとドッペルゲンガーが少しだけ泣いたから、わたしは行くことにした。学校近くのかき氷のお店はすこし薄暗くってなんだか寂しい蛍光灯がついていた。フルートパートは8人もいて注文の数が多く、それがなんかちょっと楽しくてみんなで笑った。わたしはメロン味にした。あとはイチゴとかレモンとか抹茶とか、アイスを乗っけることもできてわたしはいつもよりはしゃいだ。明るいグリーンのメロンシロップがわたしの頭を悪くしそうでくらっとした。そのスマホケースかわいいねなんて話したこともなかった一年生の子に話しかけた、そうなんですよーとニコニコしてくれるけど、わたしはだんだん味がしなくなる。みんなもだんだん話が尽きて来てシャリシャリかき氷を食べた。体が熱くてテーブルに腕をおいているとじっとりとぬれてくるような暑さなのにわたしのナカは冷たくて、メロンのグリーンがわたしのナカまで侵食したんだなと思った。頭がキーンとして痛い痛いと一年生が言うので、それでまたみんな笑った。

そうやってこうやっていたら野球の試合の日になった。暑くて溶けてしまいそうな夏の日だった。Aメンは、今日もひたすら合奏している。吹奏楽部の”Bメン”は、楽器にタオルを巻きつけて帽子かぶって一音入魂と暑苦しくプリントされたダサくて最悪なお揃いのTシャツを着せられた。隣でダンス部のチアガールたちは白くて短いスカートをひらひらさせていた。わたしが男だったらこっちに目がいって仕方ないだろう眩しくて羨ましかった。暑い。ルール、知らないな。一瞬椎名を探したけど、目が悪いからわからなくてあきらめた。終業式から椎名に一度も会っていなかった。 出てないんだと思うことにした。暑い。生徒会が吹奏楽部にスポーツドリンクをこまめにわたしにくる。「暑いね!勝てばいいね!」と言いながら汗だくになっている。わたし、ばかだから本当はまだ探してる。 試合は結構面白くて、クラスの男の子たちが試合に出ていることが不思議だった。なんだか遠い人たちに感じた。キャーという歓声や、相手チームの吹部の音とか太鼓の音とか応援団の声が混ざりあって、わたしはぽーとなってのぼせてしまいそうだった。暑くてこの空間が楽しくなっちゃって酔っぱらったみたいにはしゃいでいたけど、二対五で負けていた。後ろのチアリーダーたちが、「ねぇ、やばくない?」とコソコソと話すのが聞こえる。ルールがわからないので何がやばいのかイマイチわからない。六回裏で、うちの高校の選手の誰かが怪我をした。スプレーをシューッと当てられて、あのスプレーは何かなあとぼんやりしていた。あの人、誰だっけ?そうしていたら選手交代の放送がはいった。周りがざわざわとしているけど、わたしは状況があんまり読めてない。電光掲示板の名前がゆっくり、ゆっくりと変わっていった。わたしはスローモーションみたいに、時間が止まったみたいに見えた。ゆっくり、ゆっくり変わる。走って来る。走ってくるので息をするのを忘れてしまう。わたしはピントを合わせようとするカメラみたいになった。なんとなくわかっていたことだったけど、見つけてしまう。もはやそれだけしか見えなくなって、なにも、何にも聞こえなくなった。そこで椎名が笑っている。 ピカピカして見える、キラキラして見える。わたしはだんだん、だんだん歪んでいくのを感じた。なにが?負けているのに君は笑っていた。ああ、本当はわたしのものじゃない、きらきら。
「オーメンズオブラブ、いきまーす!!」
太鼓の一年生が叫ぶその声が脳をぶったぎってハッとなって、我に帰る。カッと光の渦、オーメンズオブラブは、わたしが野球の応援で一番好きな曲。目の奥がじんと熱くなっているのを感じた。瞬きなんて、絶対にしない。凛としている椎名、優しく、明るく、強くて、

ねえ、ドッペルゲンガー?わたしはここで死ぬみたい。だって、わたしと同じクラスの椎名が、椎名が試合に出ているのにわたしはどうしてここにいるの?キン、と乾いた音が飛んでゆく。頭をガンと殴られたような気がする。ああ暑いな、暑い。野球応援の練習。行かないの?っていってくれたのになあ。かき氷も、誘ってくれたのに。ばかなわたし。もうだめ、全然吹けない。指が回らない。ごめんなさい吹けなくて。応援、来ちゃってごめんなさい。ごめんね、ごめんなさい。

キン、

椎名。
椎名は本当に、かっこいいね。

終わってからもわたしはそこにずっと突っ立っていた。もうどこにも行けなくてもいいと思った。

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