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飛び込む勇気ってなんだろう

幼少期には簡単に飛び込んで行けた小川、窪み、段差。
飛んだ後に対岸に何が待ち受けているかはどうでもよく、ただ単に面白さに執着してトライしてみた記憶がある。


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幼少期を経て、物事への視野が広がったと同時に、挑戦した後のリスクを考慮するようになってきた青年期。
「これをしたらこれをしてあげる」という環境下で育ったわたしは、無条件に与えられたという記憶が薄い。

現在も随所の記憶が色あせた、薄く淡い色彩として刻まれている。
瞬きをするような驚きを象徴するビビッとなものではなく、はっきりとしない不鮮明な記憶。

常に小さな窓から世の中をのぞき込んで、色がついている愉しそうな箇所だけを探していた。

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絵の勉強をしたくって19歳になってアメリカへ渡った。
対岸ではどうなっているかなど気にもしなかった。そう、幼少期の「飛び込み」を自然にこの時期から、またやり始めた。

初めて住む場所、初めて受ける授業、人間、たべもの。
全てが初めてで、全てが愉しかった。解らないことは必死で調べ取り込もうとした。どんなリスクがあっても納得するまで自身で答えを出そうとしていた。そしてそれら全ての言動が身になり、生(せい)を輝き纏っていた感覚があった。

それは、駄作であっても作品全てを受け入れてくれる教授や環境が与えてくれた初めての経験。

「これをしたら褒めてあげる」ではない。


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飛んだあと

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上空高く飛行するように、浮力に任せてひたすら前に進んでいた。
細かい躓きも気にせず、とにかくデッサンをチャコールで描き綴ったのを今でも鮮明に覚えている。

ここで思う。
わたしはいま、どのステージにいるんだろう。

悲観的に映り見える少年期のココロなのか。
飛ぶ前なのか、上空なのか。


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同じことをしてあげたい

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教育を受けた経験もあり、父親として教育/保育を提供する側でもあるわたしは、アメリカで経験した気持ちを忘れないように社会の中で生きている。

提供側と受け側という関係性ではなく、提供する側は使命をもって提供を続け、受け側はその感受性や性格によって受け答えをするだけで良いと思う。

決して褒美をぶら下げず、共創しながら一緒に失敗し探し続ける瞬間は、小川や窪み、段差に例えられる「苦難」を飛び越える原動力になるだろうから。

経験値からくる感覚ではなく、そもそも備わっている錆びることがない感性を、もっともっと磨き伸ばして欲しい。生き物としてそれぞれ違うように、この先の収穫それぞれ違うはずなので。

そして、一人で飛び込めない時は、誰かの勇気をたくさん借りてよいと思う。いくつになっても認めて欲しい気持ちは誰でも抱えてるもの。恥ずかしいことではないよね。

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