パパ、なんで へん っていっちゃ、だめなの? A
「ねえ パパ なんで」は
Q&Aで構成されています。
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娘の保育園で「どうしてそんなカッコイイ頭してるの?」と言われて、言葉に窮してしまいました。モヒカンヘアの爆烈Qです。
"変な"って言われた方が、返し甲斐があるというか、押しても引いても何とかなるんですが、予想だにしない言葉に詰まってしまったというね。
おそらくは「変」って言わない教育を、ご家庭だか保育園だかにお受けになられてるんだと思いますが、いやま考えれば考えるほど素晴らしいなと思いました。芸人泣かせなところは置いといて。
僕の場合はロックでもパンクでもなく、いまや面倒なのでモヒカンにしてるっていう、ネイティヴ・アメリカンもビックリの理由だもんで、ポリシーもへったくれもないから、
「そう感じたキミのセンスが僕をカッコよくさせてくれたんだね、ありがとう!」
くらい言えんとあかんかったなと猛省です。成長させてくれよんで、こどもたちは。えぇ?
他人を変な人だと評することが完全になくなって久しいです。
発想が飛躍してたり、奇抜な格好をしてたり、みたいなことが日常の人たちの中で生きて来たからかも知れません。
そして大体、その双方は相反していて、一見ちゃんとした格好をしたり、物静かな人の方がぶっトんだ考えしてて、見た目が派手な方は礼儀正しかったり気遣いや情に深いです。
そういう人間が存在し、自分には想像もつかない、色んな人生を歩み、色んな人と出逢い、いまそこにいる。ただそれだけ。
なので、突出したことは当たり前なので、どれくらいめちゃくちゃでも、"変"って、人を指していう言葉じゃないなと至らざるを得ないわけです。
そんななか、芸大、芸人、AB型、モヒカン(昔はビリケンスタイル)と、"個性的"って言っときゃええんやろなみたいな足跡でここまでやってきました。
逆に言うと、"変わっている"とカテゴライズされてナンボな職業柄、奇を衒おうとせずした発言や行動が「変」とされた時に、安堵を覚えることさえあったかも知れません。ちゃんと自分はズレているんだと。
そこで憤慨できたら、なおいいのに、と思えてしまうところに、凡才の凡才たる所以をひしひしと感じて生きています。天然と呼ばれる人に「天然」と言うと、怒るのが、自然なわけです。
娘がたまごを「オレンジと透明」と解釈しているのとか、嬉しくなります。
逆に、ベタにピンクとかハートとか好きなの、一回ドえらいトラウマ与えて忘れさせたろかいと思ったりもしますん(明言は避ける言い方)。
実際、人のことを「変」って言うのって、自分が普通・平均・常識であるって思ってるってことやから、一番ヤバイですもんね。
奇抜であれとか、逆張りをしろなんて思わないですけど、面白い視点もってるな、感性豊かやな、ってなるように、色んな刺激は与えていきたいなーと思っている
…なんて、嗚呼、凡庸やなあって、今日も両手でモヒカンを立て直す日々なのです。
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