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人生を失うということ

 昨日、プロサッカー選手とうつ病についてのnoteを書いた。

 その中では書ききれなかったのだけれど、取り上げた本『カンプノウの灯火 メッシになれなかった少年たち』の中で、もうひとつ気になったエピソードがある。

 一番最初の章に登場する、ディオン・メンディというセネガル出身の青年の話だ。ディオンは少年時代にセネガルからスペインに移住してきて、小さなサッカークラブでプレーしているところをスカウトされ、バルサの下部組織に入った。その当時は誰よりも優れたフィジカルを誇る選手で、メッシより有望株だとさえ言われていたが、時間が経つほど、その早熟さが仇となった。他の選手の成長が追い付いてくるのに伴って、スピードで相手を抜くこともできなくなり、ぶつかっても当たり負けすることが増えてきたのだ。
 気が付いた時には、メッシの背中はずっと遠くにあった。

そんな状況の中、尊敬する父が亡くなった。それをきっかけにディオンはサッカーをする目的を見失い、間もなくバルサを辞め、やがてサッカー自体もすっぱりと辞めてしまった。そして彼は、スペイン南東部の辺鄙な村で、子どもたちにボクシングを教え始めたのだった。

 自分自身がセネガルからの移民である彼は、同じ立場の子どもたちに強い共感を向けていた。

 本が書かれた2015年には、ある悲痛なニュースが報じられていた。
 その年の9月、難民認定を受けることができないままトルコに滞在していた三歳の子どもを含むシリア人難民一家が、ゴムボートでギリシャを目指して出発した。パスポートがないため、正規の手段では出国できなかったのだ。しかし、途中でボートに水が入り込み、父親以外の一家全員が溺死してしまった。

 このニュースを見て、ディオンは激しく心を痛めたと言う。

「あのシリア難民の少年を見ると、いたたまれない気持ちになる。どうにか助かる方法はなかったのか。誰かが、彼を救ってあげられなかったのか。祖国を捨ててヨーロッパへ行くってのは、簡単なことのように聞こえる。荷物をまとめて、パスポートを持って、空港でチェックインして、さあフライトへ。もちろんそんなものじゃない、それは想像を絶する、生と死のかかった冒険なんだ。彼らはシリアを捨ててヨーロッパへ来たいと願った。その決断に至ったのは、もはや祖国ではどうやったって生きていけないような状態だからなんだ。俺たちもそうやってアフリカからやってきたから、移民の気持ちはとてもよくわかる。俺の場合はスペインが受け入れてくれた。自分が授かった幸運に感謝している」

 スペインが自分を受け入れてくれなければ、今生きていたかもわからない。彼はそう語る。

 そんな彼がコーチを務めるボクシングジムに通う生徒には移民が多く、その一人に、ディミトリという少年がいた。
 当時15歳だった彼はドネツクの出身で、2014年から続く紛争によって故郷に帰ることができなくなっていた。
 その間に彼の故郷は「ドネツク人民共和国」と呼ばれるようになり、街からはウクライナの旗やブランド名など、ウクライナを象徴するものが消し去られていった。スペインにいるディミトリは、自分のアイデンティティをこう語る。

「ウクライナ人か、スペイン人か?はは、面白い質問ですね。どうでしょう?僕は血もパスポートもウクライナ人です。でもウクライナに、僕の故郷はもはや存在しない。宙ぶらりんの状態なんです。
(中略・いつかドネツクに帰りたい?と聞かれて)
スペインがいいです。好きですよ、この国は。何より落ち着いて、大好きなボクシングができますから。ロシアと戦わなくてもすみますし」

 7年前に15歳だった彼は、現在22歳になっているはずだ。今もスペインでボクシングをしているのだろうか。今のこの情勢を、どんな気持ちで見ているのだろう。ドネツクに残ったという彼の父親は、無事なのだろうか。

 そんなことを思いながら、この問題が今年突然始まったのではないということを、今更ながらに実感した。これは、ずっと地続きに起こり続けていたことなのだ。侵攻が始まるずっと以前から、多くの、ごく普通の人々の人生が翻弄されてきた。

 同じジムのモロッコ出身の子どもは、「みんな人生を求めてスペインにやって来る」と語っていた。彼らの言う人生とは、毎日安全に眠れて、子どもが将来の夢を見ることができて、働けば食っていくことができる。そういうものだ。たったそれだけの、ささやかなものだ。
 人間が当然に得るべきものだ。
 それさえも当たり前に手に入れられない人たちが世界中にいることを、私はもっともっと切実に想像しなくてはいけなかったのだ。

 今日の報道では、ウクライナからの難民は150万人を超えたという。それだけの人たちが、「人生を失った」のだ。中東やアフリカからの難民の場合、難民生活は平均で26年間続くと言われている。今のこの状況も、何日続くのか、何年続くのか、その先がどうなるのか、まだ誰にもわからない。とにかく避難している人々が無事に故郷に帰れない限り、彼らは難民として生きて行かなくてはいけない。大きな傷とトラウマを抱えたままで。

 人々のすべてが、暴力に脅かされない「人生」を取り戻すことを願う。

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