制服を脱いだ私の話


今思えば何故あんな風に思っていたんだろうという学生時代の話を。

中学生の頃、仲の良い人(または、部活などで頻繁に顔を合わせる人)以外と学校の外ですれ違っても、制服を着ていなければ私が誰であるか認識されないと思っていた。

学校を出、同級生とすれ違う機会は下校のタイムスケジュールを思うと同じ方向に歩いていくことはあっても、どちらかが私服ですれ違うということは学校近隣に住んでいなければそうそうない。

確立されたグループが出来上がる中学生独自のお付き合いの中で、先を歩いていれば、あぁ・あのグループね、と友人ごとや部活ごとの群れとして認知し、また向こうにもそう認知されているのだろうなという、

“集団”の中に居るから“私”が誰なのか分かられている。

そういう認識レベルだった。それゆえ、その輪から外れ、ひとりで、ましてや制服を着ていない私なんて誰も気づかないと思っていたのだ。

だから、部活をさぼって愛犬の散歩をしているところに、たまたま野球部の(当時ひそかに片思いしていた)坊主頭が歩いてきた時は、“お散歩中の人”として素通りされるものだと思っていたのに、こんにちはと挨拶され硬直するほど驚いた。
怪しい人物に遭遇したかのように(明らかに挙動不審な私の方が怪しいのだが)「こ・ンに、ちは…」と片言ですれ違ったのを覚えている。

今考えても、私だって相手を認識しているのだから、その逆も然り!とツッコめるのに、当時の私にとっては“制服の群れ”こそ圧倒的存在で、自分なんぞそこから飛び出たら同級生にとって無いに等しいという感覚だった。

そのため、その時の私の感覚としては、好きな人に声をかけられた高揚感は微塵もなく、(私に、気付いた、だと…)という、透明人間として生きてきた者さながらの心境であった。

それから(気付く人は気づくのかもしれないなぁ)という曖昧な感覚のまま、誰とすれ違うこともなく卒業。
高校は私服のところへ進んだため、最初で最後の制服時代となった中学生。


当時の私を、今ならおばかだな~と笑えるけれど
当時の私にしてみたら衝撃の展開で。

今でもその時の衝撃はありありと思い出せたりする。

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