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人生はピタゴラスイッチ。僕の言葉が娘に及ぼす影響について悩む

会社に向かう途中の電車の中。20分という中途半端な時間を潰せる適当な動画がないかと、Amazon Prime Videoをプラプラ流して見ていたら、MIU404が目についた。

リアルタイムでの放送を毎週楽しみにしていたドラマだ。星野源さんも
、綾野剛さんも、菅田将暉さんも、出演している方々がどれもこれも好きな俳優さんで、「もう一回観るのも良いな」と思った。

このドラマのテーマは「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」だ。いわゆるピタゴラ装置である。

ルーブ・ゴールドバーグ・マシンとは…
普通にすれば簡単にできることをあえて手の込んだからくりを多数用い、それらが次々と連鎖していくことで実行する機械・装置のこと。


たどる道は真っ直ぐじゃない。障害物があれば、後押しするものもある。うまく進めていたと思ったら、横から押されて違う道に進まされたり、足止めをくらったりする。

人生も同じだ。自分だけではどうしようもできないようなことが起こったり、ほんの小さなスイッチでその後の道が大きく変化したりする。

自分の場合は、親に言われた言葉だろうか。


## 僕の心にずっと刺さっている言葉

学校を卒業してサラリーマンになってすぐぐらいの頃に、親から言われた一言が、お茶碗の底にこびりついて固まったご飯粒のように、頭から離れず、忘れることができない。

「兄はこんなにしっかりしているのに」

事の経緯はもう忘れてしまった。もう10年以上も前のこと。些細ないざこざが原因で言い争いになったんだったような、そんな気がする。

しかし事の顛末はよく覚えている。その言葉を吐かれてから僕は、言い返すことをやめて、一言も会話をすることなく、当時の転勤先である大阪のアパートに帰ったのだった。

それ以降、僕は両親と会話することをやめた。

本当に些細な一言だ。言った本人もおそらく、こんな一言が僕に影響を与え続けているとは思わないだろう。僕だって、普段の生活の中では全く気にもとめていないし、頭の中のクローゼットの奥底に眠っている。

しかし、何かしらの岐路に立たされたとき、この一言が僕の判断の基準となっているような。言葉に操作されているような感覚になってしまう。

兄と比べられることが嫌いだった。

兄貴は自分と違って仕事はできるし、おそらく給料もいい。人生なんて、他人と比較をして優劣をつけるようなものではないのかもしれないが、やはり兄と比べて自分は劣っているような劣等感を感じてしまう。

だから徐々に、僕は僕だけの道を選ぶようになっていった。兄とは違う場所、違う仕事を好んで選び、単純な比較ができないようなフィールドで生きれる選択してきた。

そのため、ウェブディレクターをやっていて、ブログやライターとしての活動を続けている。兄が持たないものを自分は持っているんだと確信したいために。

すべて、自分が自分で選んだ道だ。誰に操作されたわけでもないし、自分やりたいことを選んで生きてきた。好きな人と結婚して、結婚をして、子供と3人で生活を謳歌していると信じている。

しかし、あの言葉がなければ、もっと自分に自信をもっていられたのかもしれない。
「親へのあてつけ、悪あがき、反抗的な態度を表したいから、今の仕事を選んだのではない」「自分の人生を、自分が選択して、自分で道を選んだのだ」と、胸を張れたのかも……。

「あのスイッチがなければ」なんて風に思ってしまうのだ。たまにね。


## 自分も娘のスイッチだという自覚

とまぁ、自分のことはどうでもいい。自分のことは、自分でどうにかするから、それは良い。

いま僕が危惧しているのは、僕の言葉が、娘のスイッチになっていないかどうか、ということだ。

いや、スイッチになることは良い。それは当然であって、逆に僕のなにもかれもが彼女に影響を及ぼさないのだとしたら、そんな悲しいこともない。

僕が親の言葉に影響を受けたように、娘もまた、僕の言葉や態度、あるいは表情ひとつで、今後の選択が変わってくるのだろう。

子供は素直だ。親が「すごいね!偉いね!」と言えば、その言葉を信じて、また頑張ろうと思う。親が残念そうにすれば、子供は敏感に感じ取って、「もうやらない。もう嫌だ」と思うだろう。

自分は、彼女のスイッチである。それを避けることはできない。それを避けるというのは、彼女との人生を放棄することだ。

家族として生きていくなら、僕は必ず、彼女のスイッチとなる。ならば僕は、彼女にとっての良いスイッチでありたい。

彼女の人生が好転するような態度、表情、言葉を、常に意識するのは難しい。ついポロッと舌から零れ落ちた一言が、彼女に大きな衝撃を与えて、落ち込ませてしまうかもしれない。

そりゃあ僕だって人間だ。機嫌の悪いときもあるし、口を滑らせることもある。

忙しいときに声をかけられると、「いま無理」とそっけなく突き放してしまうこともあるし、オンライン会議中に騒がれると「うるさい」とイライラが表情と言葉に出してしまう。

だけれど、それを「人間だから仕方ない」で済ませてはいけないんだよな。そういう感情に任せた態度をとられたから、僕は親に幻滅したのだ。

どんなときでも、僕は娘のスイッチであるという自覚を、常に持ち続けなくてはいけない。……なかなか難儀なことだと、我ながら書いていて思う。


## 言葉ひとつが誰かのスイッチに

今の時代、言葉ひとつが大きなスイッチとなる。SNSにつぶやいた一言が、誰かを傷つけたり、悲しませたり、落胆させたりする。
もちろん逆も。その一言に、喜んだり、救われたり、光を見たりする。

一個、一個、一個、全部がスイッチ。
ひとつひとつ丁寧に生きよう。

MIU404は素晴らしいドラマだ。改めて思う。
当時はあまり気にしていなかったが、いま観たら、スイッチという言葉の重みを深く感じることができた。

一期一会。ご縁。誰に出会って、誰に出会わないか。その一つ一つが積み重なって、今があり、未来へと繋がっていく。

陳腐な言い方をすれば、後悔のない生き方をしたいものだ。

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