見出し画像

2014年、ガザ侵攻のときイスラエルのキブツにいた話

私が初めて使ったSNSは、フェイスブックでした。
2011年から使っているから、もう9年。

好きな機能の一つが「〇年前の今日」の投稿を教えてくれるもの。

それによると、6年前の今日、私はイスラエルにいたらしいのです。

学生の頃、いろんなところを訪れたけど(今思うとあり得ないのですが、Wifiも現地SIMカードもなしで)ちょっとずつ、記憶が薄れてしまう前に、書き留めておこうと思います。

「ガザ紛争」が始まった

このとき、大学生だった私は、夏休みを目いっぱい利用して("工夫"をして少し長めにして)イスラエルに向かいました。

イスラエルに行くこと自体は2回目で、現地に友達もいたのですが、再び戻ってきたのには2つの理由がありました。

①長期滞在することで、イスラエルやパレスチナについて理解を深めたかったから(1回目の訪問ではパレスチナ自治区に行かなかった)
②「キブツ(※後述)」という特殊なコミュニティがあることを知ったけど、文献やネットの情報ではいまいちよくわからなかったので、実際にいってみたかったから

半年くらいかけて、キブツ滞在計画を練ったのですが、渡航の直前になって、なんだか不穏なニュースを聞きます。

>イスラエル国籍の少年3人が誘拐され、ヨルダン川西岸で遺体で発見される

イスラエル・パレスチナという言葉は、だれもが一度は歴史の授業で聞いたことがあるのではないでしょうか。

その話をすると長くなるので書きませんが、政治的な問題もあり、ユダヤ系イスラエル人と、アラブ系の住人の間でしばしば衝突が起こります。

そのため、イスラエル政府は国中に世界トップレベルのセキュリティを敷いていることでも有名です。

中東地域を専攻にしている友人たちからも、出発前に「不穏な動きがあるし、何かあるかもしれないけど気を付けてね」といわれました。

2014年に入ってから、パレスチナ西岸自治区とガザ地区(※)で、それぞれファタハとハマスという別々の組織が統治していたパレスチナが、統一内閣を作る合意がなされていたことも鑑みての言葉だったようです。
(※)パレスチナは西岸地区とガザ地区で飛び地になっています。

「既にビザの手配もしていたし、どのタイミングで行ってもある程度のリスクはあるのだから。」

そう思って向かったその地で、思いがけず「ガザ侵攻(※)」が始まります。

※Gaza Conflictなので、わたしはずっと「ガザ紛争」と言っていたのですが、日本語では2008-2009年の"Gaza War"を分けるためか「ガザ侵攻」と呼んでいるみたいです。

テルアビブに到着。そして初めての西岸自治区へ

約1年ぶりについた、テルアビブの空港。

深夜着だったのにもかかわらず、前回行った時に友達になったイスラエル人と日本人の夫婦に空港まで迎えに来てもらいました。(本当に良くしてもらいました。勢いだけあったいろんな人に迷惑かけまくったので、自分も南アフリカに来る学生には良くしよう…と思っている所存)

翌日にはバスに乗ってエルサレムへ。
旧市街に着いたときは「またここに戻ってきたんだ」と、何とも言えない気持ちに。

真夏の強い日差しを浴びながら、大きなバックパックを背負って向かったのは東エルサレムにあるアラブバスの乗り場。

キブツに行ったらなかなか行けないと思い、まずはじめにパレスチナ西岸自治区に行くことにしたのです。

友達に現地で留学をしている日本人学生を紹介してもらったので、西岸側のバス停で待ち合わせをしていました。

何が何だか勝手がわからない中、大荷物をもってバス停をさまよい、なんとか目的地に行く(と思われる)バスに乗車。

予定よりも大幅に遅れてパレスチナ西岸自治区のラマッラーに着きました。
(とはいえ、乗り合いバスが主流で、頻繁に道路がシャットダウンされたり、検問が行われるパレスチナ自治区。予定の時間なんてあるようでないことを後に知ります。)

本当に目的地に着くかな…と思いながら乗っていたので、バス乗り場の端で、椅子に座っておじさんとアラビア語でおしゃべりをしたと彼女を見つけたときは一気に心の緊張がほどけます。

ムサッハン

(とある村でごちそうになったムサッハン)

留学組を西岸を観光したり、現地のご家庭にお邪魔してご馳走をいただいたり(途中で停電になって、ごはんにありつけないかと思った…)、人気のアイス屋さんでアイスを食べたり、ラマッラ駐在官事務所の方とお会いしたり(インターナショナルフェスティバルをしていて、日本ブースで折り紙を教えることに)、パレスチナの地ビールを飲んだり、ラマダンの初日を体験したり。

たった数日だったけど、アラビア語を話しながら現地に溶け込む彼女たちと、活気にあふれるパレスチナの街に魅了され、同時にすぐ隣にあるのに、まるで別世界のパレスチナの様子に何と言ってよいのか、言葉が見つからずにいました。

キブツ(Kibbutz)って何?

画像2

パレスチナを後にした私は、旅の目的、キブツに向かいます。

「キブツ」というイスラエル独自の共同体について、ご存じない方が多いと思うので、ここで簡単に。

べブライ語で「集合」のような意味があります。何世帯かが集まって住む村のようなものなんですが、他の村を大きく違うのは社会主義、コミューン的な性質を持っていることです。

伝統的なキブツは、

・キブツに一つあるダイニングで住人みんなが食事をとり、キブツのことはみんなで決める
・キブツのこどもはみんなで育てる(赤ちゃんの家、子どもの家、青年の家、というように集住している)
・キブツに産業(もともとは農業)があって、その産業の従事したり、キブツの施設(ダイニングやランドリーなど)などで働いている
・車や遊具、子どもを運ぶカートなどが共有財産

などなど、ものすごく興味深い特徴があるというではありませんか。

私が学生の時は、日本語情報はほとんどありませんでしたが、今調べるとまとめてくださっている方もいるようです。

このブログはキブツの歴史や概要については参考になると思いますが、キブツの中の仕組みは、私がいたキブツとは異なる部分もあります。

私のキブツでの暮らしや、そこで出会いお世話になった日本人とイスラエル人ご夫婦(複数のキブツに居住経験あり)の話、その後仕事でイスラエルに訪れた際に出会った、キブツボランティアの後イスラエル人と結婚・出産し、30年ほど住んでいる女性の話、キブツ出身のイスラエル人の友人の話などは、また別の機会に書きたいと思います。


いざ、南部のキブツへ

画像3

さあ、話は戻って。

キブツで働くには、「ボランティアビザ」という特別なビザが必要になります。事前に日本で手配してきたので入国はスムーズ。

入国した時点では、200以上あるキブツのどこでボランティアをするのか決まっていません。
そのため、到着したらまず、テルアビブにある「キブツ・プログラムセンター」に行きます。(2014年時点では、事前に決めることはできないと言われました)

センターの人には、「日本人は珍しいね。年に1-2人くらいしか来ないなあ」といわれ、Tシャツをもらいました。

なんとなく、北部に行きたいなあ、なんて思っていたけど、どこでもいいので、ご縁のあったキブツで働きたいと思って伝えたところ、自分では想定していなかった、南部にあるネゲブ砂漠に位置するキブツに行くことになりました。

バスに乗って、南部の都市・べエル・シェバへ。そこから更にバスを乗り継ぎ40分。これから2か月ほど働くキブツに到着しました。

キブツ以外に建物らしい建物は見当たらず、茶い乾燥した砂漠が続きます。
見えるのはサボテンくらい。
(キブツの外に出ると、ベドウィンの人に石を投げられるかもしれないから気を付けて!といわれたのを覚えています。実際にアメリカ人の友人は、自転車で外を走っていたら意思を投げられたそう)

規模600人ほどの小さなキブツ。海外からのボランティアは、私のほかに10人くらい。コロンビア、イギリス、韓国、インド、スロベニア、フランスなど、各地から個性的な人が集まっていました。(彼らについてもまた後日)

そこで始まったガザ侵攻

パレスチナでの滞在やキブツ入りの興奮からすっかり忘れてしまっていた、あの「不穏な事件」。

その後7月に入り、パレスチナ人の青年が焼死体で発見される事件が発生。(報復事件だとされている)

ガザからイスラエルに向けてミサイルが発射され(この時に限ったことではないですが)、イスラエル軍はついに本格空爆を。
そして今回は「ガザ侵攻」といわれているだけあり、イスラエル軍によるガザ地区への地上侵攻まで至りました。

地上侵攻は、2008年の大規模は襲撃以来。緊張感が増します。

結果的に、およそ2か月続き、休戦となりましたが、その間にパレスチナ側は2000人以上、イスラエル側は70人以上亡くなりました。(数字は諸説あるのですが、BBCのニュース参考)

夕方に揺れる窓、流れ星みたいなミサイル

私の滞在していたキブツは、南部に位置していて、ガザ地区から車で30-40分ほどのところにありました。
その間には、大きな街があるわけでもなく、ほぼ砂漠。
ということで、夕方から夜にかけて、地響きが多くなり、時に部屋の窓を揺らしました。
「これって、ガザへの爆撃の音かな?」とみんなで話していましたが、人によっては「近くの軍事施設での実験だと思うよ」という人もいました。

確かにネゲブ砂漠にもそうした軍の施設はありますが、夕方から夜にかけて増えるこれは、実験なのでしょうか。

周囲に大きな建物も、というか建物そのものがほとんどないので、夜はものすごくきれいな星空が見えるんです。
ガザ侵攻が始まってから、流れ星のように輝くものも見えるようになりました。誰かが「あれは、迎撃されたミサイルだよ」と教えてくれました。

とはいえ、そうしたことを除けば、驚くほど日常が続いていました。

画像5

(キブツの広場で行われていたコンサート)

いつものように朝早く起きて働き、3時くらいに仕事が終わり、プールに入って、Skypeをして、お散歩をして、夕ご飯を食べて、金曜日にはみんなでパーティをする。

「キブツにいる限りは問題ないさ」
「鉄のドーム(イスラエルのミサイル迎撃システム)があるから、そんなに心配しなくて大丈夫だよ」
そんなことをいう人が多かったのです。

こんな状況でしたが、パレスチナ西岸自治区であった留学生たちや、イスラエル北部のハイファ大学に留学していた別の友人も、みな帰国することなく残留していました。

わたしも、今公共のバスに乗ったり空港に行くのは避けて(そうした場所が一番テロの確立が高い)、砂漠にある田舎のキブツに、予定通り滞在することにしました。

軍服を着た訪問者

画像4

(食堂の様子)

前線から近いからか、キブツに兵士が訪問することが増えました。
食堂で働いていたので、いつもよりも多くの食事を提供するので忙しくなりました。
ある日は、仕事のあとにプールに遊びに行ったら、普段はガラガラなのに、多くの兵役中の若者であふれていたことも。(もちろんプールサイドなので兵服を着ていたわけではないけど、話をしました)
「今は紛争中でしょ?だから特別休暇をもらっているんだ」と言っていました。

ある日は、私たちのキブツよりもガザに近いキブツから、ボランティアの人たちが遊びに来ました。
「私たちのキブツでは、毎日サイレンが鳴って、ものすごくストレスがたまるから、特別に休みをくれたんだ」と言っていました。

私たちの住むキブツでも、防空壕は開いていましたが、実際にサイレンが鳴ることは稀で、距離もそれなりに離れていたので、サイレンが鳴っても実際に防空壕に入る人はいませんでした。
(一度だけ、近くにミサイルの破片が落ちたことがあり、強い地響きがしたあと、外を見ると高い土煙が上がっているのを見ました。)

パレスチナ西岸地区から友達が遊びに来た

そんな中、パレスチナ西岸自治区でお世話になった留学生の2人が、キブツに遊びに来ました。

キブツに移動してからもちょくちょく連絡を取っていたのですが、「パレスチナでは、毎日死者数が増えているのを見て、重い空気が流れているよ」というのを聞いていました。

キブツボランティアのお客さん、ということで、私たちが住む部屋の一部に泊ってもらいました。

「紛争(conflict)」が起こっているとは思えない、そしてパレスチナ西岸自治区よりもガザに近い場所にも拘わらず、ゆっくりと時が流れ”平和な”日常が送られていること。

砂漠とサボテン、肌にじりじりを照り付ける日差し。夜は気温が下がり、一気に心地よい風が吹く。

そして、地響き。

夜空の輝き。

市内よりもずっと安い値段のディナー。

人々が談笑するダイニング。

くだらないことで時間をつぶすボランティアたち。

ガザ地区への空爆や壊された建物の絵を見ていた彼女たちには、このキブツの暮らしはどう映ったのだろう。

彼女たちがキブツに来る頃には、地響きも開いた防空壕も、たまに聞こえるサイレンにも、慣れっこになってしまった自分にも気づかされました。
大きな波にのまれて、その複雑さに自分が加担しているような錯覚もあり、正面から向き合って考えていることを避けていたのかもしれませんし、日々の生活をするために、あえて感覚を麻痺させていたのかもしれません。

思ったよりもっと、自分はちっぽけだった

画像6

この経験を言葉にしたり、誰かに伝えたりするようになるまでは、時間がかかった気がします。

現地で地上侵攻が始まってから、いろんな情報に触れました。

ヨルダンに住む友達が送ってくる「イスラエルは危ないからすぐにヨルダンにおいでよ!」というメッセージ。
パレスチナ自治区で留学している友人の話。
日本にニュースで報道されるのは、破壊される建物の絵と、その日の死者数。
読めないヘブライ語のニュースや新聞。

でも、目の前にいるみんなは、"普通"なように暮らしている。
ように見える。
そのあまりのギャップに、頭がついていけなかったのです。


大きな世界で、大きな力によって、人の命が奪われている現実。

でも自分はもやもやとした(もやもやなんて表現は優しすぎるけど)心を抱えたまま、何もできずに立っているのです。

自分が大きな人間だなんて、全く思っていなかったけど、思っているよりも、自分はずっとずっと、ちいさい。

そう思い知らされた気がしました。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?