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明日も「死なない」を続ける理由

こんにちは。ばななちゃんねるのななです。

今日は寒くて気力がないので、ちょびっとだけ。

心療内科で適応障害と診断されて、会社に申告してから
ちょうど1年が経ったので、 最近の体調や心の調子のことを先日YouTubeでお話ししました。

めちゃくちゃな鬱が突然やってきたり、
理由もなく涙が出て止まらなくなったり、
電車の中で気分が悪くなったり、なんてことの頻度はかなり減ったんじゃないかな、というのが現状です。
まったくないわけじゃないけど、ときどきあるくらいは
病気じゃなくて、人間が生きていくうえである程度仕方ないくらいの程度なのかなと思うので、症状は改善しているんじゃないかというのが体感です。

なんかさ、明日も生きていくってすごく大変じゃなないですか。

自分で死を選ぶことって、もちろんいいことではないんだろうけど、
明日も命を繋いでいくためには、乗り越えないといけない大変なことが多すぎて、
なのに、その大変なことを乗り越えてまで生きていたいと思う理由がなかったら、
そりゃあやめちゃいたくもなるよね、って思う部分もあるのです。

「インターハイ優勝したい!」って目標があれば、
毎朝10キロ走らされる朝練もがんばれるけど、
な〜んの目的も、目標もない状態で走る毎日10キロはつらすぎる。
そんな感覚。

だって、物理的に生命を維持するためには、
最低限、食べ物と飲み物と、安全な居住地を確保できるだけのお金が必要で、
もっというと、社会というものに混ざっても問題ないような清潔感を保つための、お風呂やら、衛生用品やら、服やら化粧品も必要で、
そのためには働くか、
誰かの扶養に入って、その人に養ってもらえるような自分でいないといけない。

週5日働くのは、言わずもがな大変だし、
誰かに養われないと生きていけない状況っていうのも、
楽に見えるかもしれないけど、思った以上に大変で。

そんなふうに必死にがんばって、次の日に命を繋いで
それで何をするかって、
また明日も生きるために働いたり、社会の一員として適合するためにがんばったり、することじゃないですか。

そんなハードモードな人生を
(私の人生がハードモードなのではなく、人の人生はすべてハードモード) それでも次の日も、次の日も続けていく、という選択を
毎日し続けるには、
それ相応の理由やら、目的がないと難しいんです、私の場合。

だって、
な〜んの意味もないのに、「明日も10キロ走ってください」って
つらすぎるやん。

「私が生きている意味」とか「私はなんのために生まれてきたのか」
みたいな、そんな大それたものじゃなくていいんです。

「家族を守らないといけないから」とか
「親を悲しませたくないから」とか
そんな責任が発生するようなことでも、なくていいんです。
(もちろんそれが幸せならいいけどね)

推しのライブにまた行きたいとか、
ONE PIECEの最終回を読むまで死ねないとか、
好きな人と過ごせる時間が楽しいとか、 そんなことでいい。

ただただ、自分のためだけの
「これがあるから生きていけるわ〜〜」っていうもの。

しんどいことのほうが圧倒的に多い日々を、
それでも生き続けていこうと思える理由が、なにかしらあったほうが、
きっと走り続けること自体のつらさも変わってくるし、
「もう走るのやめちゃおっかな」と思った時の最後の砦になってくれたりするんじゃないかな、っていう話。

 #適応障害 #うつ #生きる意味  

24歳/新卒2年目の会社員/エッセイスト,コラムニスト/早稲田大学文化構想学部卒業/趣味は美少女鑑賞です