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頑張らなくてもいいとは言うけれど

一時期、いつごろだったかよく覚えていないけれど、頑張らなくていいブームがあった気がする。努力主義を排除し、頑張らなくてもいいという立場を目指すこと、その活動が広まること自体はとてもいいものだと思う。

でもやっぱり世の中はそんなに単純に出来ていないようで、どこかで頑張らないといけない瞬間、もっと有り体に言えば、「あまりやりたくないことをやらないといけない」という瞬間が出てくる。

嫌なことがどれだけできるかということは重要だ。現代においてはそのまま人間としての耐久値を表すようなものだし、嫌な事を淡々と処理することができる人間は、多分社会でも重宝がられる。社会に出たことはないんだけれど。

2ch創設者のひろゆきさんの切り抜きで面白かったのは、「他人に任せるものだから、自分でやりたくないから、 仕事なんて嫌なことに決まっている」らしい。的を射てる気がする。自分でやってて面白くてたまらないものはそもそも自分でやるもんな。

よく聞くのが頑張りすぎて、休むことを忘れて鬱病になってしまったりする人のことだ。以前、汐街コナさんの著書「【死ぬくらいなら会社辞めれば】ができないわけ」という本には、終電過ぎにならないと帰れないくらいブラックな会社で働いた著者の自殺未遂の体験が綴られていた。やっぱり頑張りすぎることは良くない。

けれども、頑張ることアレルギーになったらそれもそれでよくないというのが難しいところだ。嫌なことをひたすら拒否するようになる。でも、周りは嫌なことだらけだ。難しい。

今、私は浪人生をしているのだけれど、受験の意味、本懐というのは「嫌なことをどれだけできるか」という訓練なんじゃないかと思えてきた。やりたくないことフルマラソン、繰り返しという意味から、シャトルランだろうか、やたらと色んなものをやるから、トライアスロンかもしれない。

どこまでやりたくないことができるか、どこまでやりたくないことをやったら死なないか、そのラインは体温計みたいに数字で分かりやすく教えてくれるものじゃない。38度0分が出たら熱さから学校を休む、みたいにわかりやすかったらいいんだけれど。

けれども、人間の心というのは本当に千差万別だし、体調みたいにある程度一貫性のあるものではないのかもしれない。考えみると、にここからは休んでいい、ここからは頑張れみたいな感じで統一された基準があったら、多分私は休むことが出来なくなって、今よりもっとしんどくなりそうだ。


多分このジレンマは誰もが抱えていて、それを一生背負っていくことになるんだろう。誰か嫌なことをする時の心構えとかあったら教えてください。

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