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人と交じり合う獣たち――顔歌の『Strange Beasts of China』

わたしたちがいま日本語で読む「文学」作品。それらは果たして世界に広がる文学界の最先端をどれだけ反映しているのだろうか? ともすれば日本語市場という特異な環境は、世界の文学的な状況とは全く異なったガラパゴスなものを普遍だと勘違いさせてはいないだろうか。

この連載では海外事情に詳しい井上二郎とともに、未邦訳の巨匠たちの作品を紹介し、世界文学にいま起きていることを探っていく。

第5回で取り上げるのは、中国出身で近年英語圏で評価が高まっている顔歌(ヤン・グ)。人とほとんど見分けがつかない獣たちがいる世界で人と獣はわかり合うことができるのか。
(執筆・井上二郎、バナー・小鈴キリカ)

『Strange Beasts of China』(「中国の奇妙な獣たち」【原題:「异兽志」】)はあわせて9つの章で構成された奇譚集だ。それぞれの章で異なる「獣」をめぐるエピソードが描かれる。例えば1章に登場するのは「悲しみの獣」。語り手は彼らについて次のように描写する。

オスは背が高く、口が大きく、手は小さい。そして左のふくらはぎの内側に鱗があり、右耳の後ろにひれがある。へその周りの肌は、暗い緑色をしている。それ以外はほとんど人間と同じように見える

女性たちは美しい。背が高く、肌に赤みがあり、長く細い目をしている。耳は普通よりわずかに大きい。彼女たちは満月の3日間、人間の言葉を話すことができなくなり、鳥のような鳴き声を出す。それを除いては、彼らは普通の人間と全く同じだ

『Strange Beasts of China』P.5-6

 獣たちが住むのはヨンガン(永安)と呼ばれる中国南部にある架空の街。彼らは街を流れる川のほとりにある団地に暮らし、ほとんど人間と同じような相貌で、人間と同様の生活をしている。

 獣たちについて記す語り手は、かつて動物学者を志したものの、大学卒業後、作家として生計をたてているという女性。その名前は明かされない。彼女が史実や伝説、そして自らの体験した奇妙なできごとを織り交ぜ「獣」の生態について書き記していく。

 実は「悲しみの獣」には、上で引用した特徴と別の特異な性質がある。それは笑わないことだ。笑えば死んでしまうのだという。この章ではあるオスの「悲しみの獣」が語り手の友人の人間の女性と恋に落ちる。しかし「笑えば死ぬ」という特性によってやがてその獣は死に、同時にある理由から人間の女性も死んでしまう。どこか不条理な趣のあるエピソードを、語り手は幾分コミカルに書き連ねていく。

 他の章では「喜びの獣」「繁栄の獣」「千里の獣」など、それぞれ別の種としての歴史や特性を持つ獣が登場する。なかでも不思議な魅力があるのが第3章の「犠牲の獣」だ。彼らは街に建てられた巨大な摩天楼の上層階に生息していて、その特性は自殺してしまうことである。それを人間の若者たちが真似し始めたために地元当局は「犠牲の獣」の生き残りをすべて殺すことを決める。それを知った語り手は当局への怒りを感じながら「犠牲の獣」と対面し、こう感じる。

私は“犠牲の獣”こそこの世界で最も愛すべき存在なのではないか、と強く感じた。すべての生き物の中で最も高尚なのではないかと。われわれ人間や、ほかの生き物たちがむしろ彼らより劣った存在なのではないか

『Strange Beasts of China』P.80

 しかし殺戮を止めることはできない。さらに彼女の親しい友人も実は「犠牲の獣」だったことが明らかになるなど、人間と「獣」の境界は徐々にあいまいになっていく。語り手は彼らを理解することなど不可能なのだ、と感じる。「誰にも「獣」の生を理解することはできない、彼らがどのように生き、死に、我々についてどう考え、どう生き延びていくのか誰にもわからない」(P.46)

『Strange Beasts of China』
Melville House HP より

 著者の顔歌(ヤン・グ)は四川省の出身で1984年生まれ。10代から短編集などを出版し、近年では中国の文芸誌「人民文学」が選ぶ「未来の巨匠」20人の1人に選ばれている。2013年の『我们家』(「私たちの家」)は『The Chilli Bean Paste Clan 』のタイトルで2018年に英訳され「PEN翻訳賞」を受賞している。中国では十数の作品を出版し、5冊が長編である。

『中国の奇妙な獣たち』はもともと2006年、顔歌が20歳を少し過ぎたばかりの頃に中国語で発表されたものだ。執筆から15年を経て、欧米で彼女の評価が高まったことを受け、2021年に英訳された。作家自身は英訳刊行時のインタビューで作品に登場する獣について「私のなかにいたものだ」と語っている。(※1)「年齢の問題だけではないけれど、今よりもずっと傷つきやすく、センシティブであり、より影響を受けやすく、また、世界に対して率直だった」。そして、それが英訳によってよみがえり、その「けもの」を自分に思い出させてくれたことに「感謝している」と。

 1984年生まれの顔歌は中国で「80後」と呼ばれる世代に属する。ある論文(※2)によれば、文学的にはこの世代は大衆性の強い「青春文学」の世代と認識され、顔歌もその一人としてみなされることが多いが、そこに「収まりきらない特徴を備えている」。比較文学で博士課程をとり、フォークナーやジョナサン・フランゼンなどの作家を愛好してきたという顔歌は、同世代の他の作家と一線を画す実験性がありながらも、正しく評価されて来なかったと評している。

 近年では英語でも執筆を行っていることにも注目したい。顔歌は現在、アイルランド人のパートナーとともにイギリスに暮らしており、2023年には初の英語作品『Elsewhere』が英米の出版社から刊行された。本作と同じく9章の短編からなるこの作品について、ニューヨークタイムズ紙(※3)は「離散した華人の言語の力を探求し、人々を結びつけると同時に、あるいはその関係を隔たせる」(explore the power of language across the Chinese diaspora to either bring people together or push them apart.)作品としている。

『奇妙な獣たち』の話に戻ろう。「獣」は何を意味しているのだろうか。物語の中で彼らは人間に対する「他者」であり、嫌々ながらともに生きなければならない存在であったり、直接的に人間を脅かす存在として描かれる。

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