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なぜ津軽海峡冬景色の歌詞は素晴らしいのか

 歌詞の良さは、わかるフリをしなくていい。安心していい、みんな本当はわかっちゃいない。もちろん私がわかっていない所もあるだろう。わからないなら「わからない」と言うことが大切だと私は思う。だから仮に今わかっていなくても、これから分かればいいだけだ。

 私は私に出来る範囲で、私にわかることを説明する。逆にもしそれを知らず、わかることが出来れば、歌詞はもちろん、あらゆる文章表現に対する見方が変わってくるのではないだろうか。

 読者の年齢層がわからないので、知らない人もいるだろう。30代前半の私も世代というわけではない。逆に知ってはいるが、なぜ名曲とされているのかわからない人もいるだろう。今回は伝説の作詞家阿久悠さんが書いた、石川さゆりさんの名曲「津軽海峡冬景色」について、私なりの解釈を解説していきたいと思う。

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけを きいている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ 泣いていました
ああ 津軽海峡冬景色

ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけ

さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色

作詞 阿久悠 「津軽海峡冬景色」

情景描写しかしていない


 普通に読めば、北へ帰る為に青森に降り立った様子を歌った歌だろう。しかし、それがすごいのだ。

 ひとりで上野からの夜行列車に乗り、青森駅に着く。さぞ長旅だったろう。着いた青森駅は真っ白な雪景色。温度差にも驚いたかもしれない。話す相手はもちろん居ないが、北へ帰ろうとする周りの人は皆ひとりなのか、同じように喋ることもなく、海鳴りだけが静寂の中で響いている。私もその喋らない人の一人になって、連絡船に乗っていく。あまりに寒いためか、カモメすら凍えているように見える。そして一人泣いている。

 この歌では情景描写しかされていない。淡々とその様子を描いているだけだ。それなのに、この人の寂しさ、哀愁、切なさ、侘しさが伝わってくる。通常の歌詞であれば、「悲しい」だの「嬉しい」だの「その時私はこう思った」という直接的な表現が使われる。どんな歌でもいいから一度歌詞を思い浮かべて欲しい。そこには必ず主観が描かれているだろう。

 しかしこの歌の中には、降り立った青森駅の様子、周りの人も自分と同様に無口でいる様子、誰かが竜飛岬を指差す様子、そういった情景描写しかない。主人公の主観、つまり感情の説明はほとんど無いのだ。こんな歌は他に見たことがない。そもそもそういった情景描写だけで主人公の感情を表現するのはあまりに難しいことだ。

語感の良さ


 それだけの芸当をしておきながら、曲に対しての語感の良さが素晴らしい。簡単に言えば無理矢理感が無いのだ。言葉を区切るところが妙だったり、やけに言葉を詰め込んでいる歌は聞き覚えがあるだろう。それがこの曲は恐ろしく綺麗に収まっている。

うえの はつの やこう れっしゃ おりた ときから (1番Aメロ)
きたへ かえる ひとの むれは  だれも むくちで (1番A'メロ)
ごらん あれが たっぴ みさき  きたの はずれと (2番Aメロ)
いきで くもる まどの がらす  ふいて みたけど (2番A'メロ)

 お分かりいただけるだろうか。AメロとA’メロの始めが3、3、3、3、3、4文字で統一されている。「れっしゃ」は音としては3文字だ。

あおもり えきは ゆきの なか (1番Aメロ)
うみなり だけを きいて いる (1番A'メロ)
みしらぬ ひとが ゆびを さす (2番Aメロ)
かすかに かすみ みえる だけ (2番A'メロ)

 冒頭の続きは4、3、3、2で文節が区切られている。

わたしも ひとり れんらく せんに のり
さよなら あなた わたしは かえり ます

 サビ前も同様に不自然のないように区切られている。こうして音だけを区切って視覚的に見るとこの芸当の恐ろしさがわかっていただけるのでは無いだろうか。このあたりの技術はシンガーソングライターより作詞家の方が上手い印象があるが、中でもこの歌は素晴らしいと言えるだろう。


私「も」ひとり


 ここが私が素晴らしいと思う表現だ。

 「私もひとり 連絡船に乗り」というフレーズ。一見普通のように見えるが、もしもこれをその辺の人が書いたら、「私『は』ひとり」と書くのではないだろうか。

 私ひとり、連絡船に乗り。
 私ひとり、連絡船に乗り。

 「は」が「も」になっているだけで、周りの人間も自分と同じようにひとりであること、あるいは自分もひとりで連絡船に乗り込んで行く人の群れを構成する一人でしかないという様子が伝わってこないだろうか。

 逆に「私ひとり、連絡船に乗り」では、「私はひとりで連絡船に乗りました」という報告のようになってしまう。

 日本語の難しさ、奥ゆかしさ、わびさびがこのたった一文字に表れている。

俳句に似ている


 俳句もまた、よくわからないものだと思われがちなものだろう。私も俳句にはそこまで詳しくないが、情景描写のみを伝えているという点が似ていると思う。有名な「古池や 蛙飛び込む 水の音」を見てみるとわかりやすいが、完全に情景を描写しているだけである。

 しかし、だからこそ、読み手に解釈の自由が生まれる。この津軽海峡冬景色を読んで、あなたはどう思っただろうか。主人公は男? それとも女? 恋人と別れて実家へ帰る歌? それとも友人と離れ離れになる歌? それとも戦争で別れる歌?

 いずれにしても共通しているのは、大切な人と別れなければならない事情があるということだろう。そしてその為に今、誰も知っている人も居ない、ひとりで居るということ。悲しい、寂しい、切ないこと。つまり具体的な「恋人と別れた」という状況が当てはまる必要などなく、フランクな言い方をすれば「こんな感じの気持ちわかるわー」と思えればいいのだ。そんな風に当てはめられるのが、こういった情景だけを伝えることの素晴らしさだ。

最後に


 私が書いた「なぜみんな歌詞が下手なのか」という記事が思いのほか好評だったため、今回は詳しく解説してみた。下に関連記事を貼っておくので、未読であれば読んでみて欲しい。もしもこのような見方をしたことがなければ、これからの歌詞の解釈に役立つのではないだろうか。これからも解説記事(今更だが解説というのはなんとなくおこがましい。解釈と説明といったところ)を更新していくので、もしよかったらフォローして読んでみてほしい。

 イマイチわけのわかっていなかったゲームや遊びも、解ってくると面白い、ということがあると思う。「この人の記事を読んでたら段々歌詞の良さがわかってきた!」と思ってもらえるような記事を書いていきたい。

 なお、そのせいで今まで良いと思っていた歌詞がイマイチに思えても責任は取れない。

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