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私と珈琲との関係

私が珈琲と出会ったのは、物心ついた時である。
父が珈琲が好きで、手動のコーヒーミルや、ドリッパーなど必要な道具は一式揃ってあった。
その珈琲を淹れる係は私の兄だったのだが、あるときから徐々に私の仕事になった。自分からやりたいと言ったのか、乗せられたのかは定かではない。

そうこうして父に頼まれば多少抵抗しつつも、いつでも豆から珈琲を淹れる、私の珈琲生活がスタートした。
豆は家から少し歩いたところにある珈琲屋さんに200グラム測ってもらって、父の好きなグアテマラを買った。

小学生になると、珈琲をテーマに夏の自由研究を3年間行った。
2年目には教育委員会から表彰され、友達からは興味すら持たれなかったことが評価されて、素直に嬉しかった。
1年生の時はドリップコーヒーの淹れ方と、様々な種類の豆の味に違いについてだ。もちろん味の違いを分析するのには父の舌を利用させてもらった。(父が乗り気だったのは言うまでもない)
2年生の時は、焙煎。真夏の昼間に、家のコンロの前で網を持ちながら行ったので、とっても暑かった。汗は背中をつたり足まで流れ落ちた。
3年生の時は、珈琲についてやることが嫌になりつつも、水出し珈琲について行った。ドリッパーを使って、一定時間あたりに一滴ずつ垂らすというなかなか根気のいる方法を試みたり、ポットに粉と水を淹れて冷蔵庫で一晩寝かす楽ちんな方法をやってみたりもした。新しい道具を買わずに工夫してどうにかしようというマインドは、世間知らずな小学生を少しだけ成長させた。

その後は、特に大きな珈琲イベントはなく、手動ミルに疲れたので電動ミルを導入したり、珈琲屋さんの移転により今までのお礼とそれに伴う新しい珈琲豆の入手先探しくらいだ。

高校1年生の時、カンボジアにボランティア活動をしに行った。そこで飲んだ珈琲は、いつしか家で淹れてみたベトナムコーヒーの味だった。私はあのほんのり甘い味わいが好きである。父と一緒にあの特殊な器具を使って淹れた楽しい時間を思い出す。

私が高校3年生の時、父はいつしか壊して断念したマッキネッタを再購入にした。そしたら美味いのなんのって。ドリップしか飲んだことない人はぜひ飲んでみてほしい。イタリア人の気分になれること間違いなしである。あの凝縮された珈琲が打ち出す味わいは格別だし、アイスなどにかけてアフォガードにすれば、それはもはやスイーツである。苦いのが苦手な人でも楽しめる逸品だと思う。
マッキネッタで淹れたエスプレッソに数杯の砂糖を入れて飲んだ時、私は人生で初めて珈琲を飲んでみたときの気持ちを思い出した。そう、私は初めて挑戦してみた時、苦いと噂に聞いていたのでたくさん砂糖を入れていたのだ。あの時はそんなにおいしいとは感じなかったが、エスプレッソを飲んだ時、今まで忘れていたあの時と何かがつながった気がした。珈琲を淹れると、「お前の珈琲は世界一おいしい」とおだてくれた若い父の声が聞こえた気がした。

それから一人暮らしをするようになった時、私は引越しの段ボールに真っ先に珈琲器具を入れた。家族と離れて、一人で暮らしていても珈琲豆を手で挽いて、上からお湯を注ぐと自然と心が落ち着く。気持ちが安定するのを、その香りと水の落ちる音、たち上る湯気が助けてくれる。
今までの思い出が独りじゃないよと教えてくれる。

それが私のコーヒー時間だ。

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