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noteで疎外感を感じても

「私達は全員、この世の中に遅刻して生まれてきた」

これは養老孟司さんの言葉です。
現世に生きている全ての人は生まれた時に世界は出来上がっていた。
一から世界を作り上げることは出来ないのだから、既にあるルールや法律の中で生きていくしかない。
その為には歴史と共に現代を理解することがスタート地点である。

こんな感じで、私はこの言葉を解釈しています。
当たり前といえば当たり前ですが、「遅刻」と表現する養老先生のセンスが好きです。


遅刻してきた者ですが


私がnoteを始めてから1ヶ月が経とうとしてます。
このnoteというサービスは2014年の4月からだそうですから、私は遅刻してきたことになりますね。

以前のnoteを知りませんが、既にサービスとして安定しており、それなりに住み分けも出来てる印象を受けました。
他のSNSなんかと比べても文章力が高い方が多く、それが刺激になったり励みにもなっています。

私がこのnoteを始めたのは、単に時間が出来たからです。
どうせならこの時間を使って好きだった書くことをしたい。
その場所を探していてここに来ました。

出来上がっている世界に一人ぽつんと降り立つと「さて、何を発信しよう」という主題に突き当たります。
質の高い記事を書きたいとは思いましたが、「質の高い記事って何?」という哲学的迷宮に入りそうで、とりあえず自分のしてきた仕事(料理)と好きなもの(本)に絞り、歩き出しています。

まぁ、あまり考えず書きたいものを書けばいいだけなのですが、なんとなくこの場所はジャンルを絞って書いた方が人の目につきやすい感じがしました(根拠はないです、直感です)


フォロワーとは


私はこのnoteという場所では、フォロワーさんを増やすことは目標ではありません。
もちろん多くの方に読んでいただくためには増えた方が有利なので一概には言えませんが、そこが目的ではないという意味です。

フォロワーを増やすという目的になると、そのための手段が必要になります。詳しくは分かりませんが、記事の内容や増やすためのやり方があるのでしょう。
それだけ手段に固執しないとフォロワーが増えにくい場所だなと感じています。

慌ててフォローするようですが(今いる)フォロワーさんは大切です。
そうでなければ1ヶ月すら続いていたか分かりません。
この短い間でも、何人かのクリエイターさんとやり取りをさせていただきました。
私にとってこれは非常に珍しいことです。旧Twitterでは全くなかった経験です。
「なんだかいいものだなぁ」と正直に思いました。

考えてみればこれがフォロワーが0で、誰とも関わりもなく、疎外感を感じていたら続くわけがありません。
壁に向かって永遠に話しかけてるようなものです。


疎外感を感じても


直後に全く逆のことを言います。
同時にnoteはそんな環境でも書き続けていい場所じゃないか、ということです。

フォロワーが0でも、誰とも関わりがなくても、壁に向かって永遠に話しかけてもいい場所なんです。
並大抵の精神では出来ません。
それなら家で日記を書いた方がいいかもしれません。
でも、それが許される場所というだけで続けるという行為は楽になる気がします。

目的や価値観は人それぞれです。
少なくとも(今の)私は、
表現をすることが目的で、その手段がnote
という気持ちでやっています。


おわりに


「書く」という行為は「客観視」と隣り合わせなものです。
ここでnoteについてメタ視点で記事を書く方が多いのも頷けますし、
今回の私もその一人です。

一人でいると孤独感
二人でいると劣等感
三人でいると疎外感

なんて言葉がありますが、
何もネットの世界でまで縛られるなんて寂しいことです。

好きなことを好きなだけ書く。
私はそんな人が好きですし、
自分もそうありたいと思っています。

今後とも、どうぞお手柔らかにお願いします。



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