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Blue color job 心療内科

日本語 連載 その3

2002年 僕は加州で平凡な労働者だった。

心療内科ユニットの一角にユース専用投薬治療病棟がある。グループセラピーも行っていて屋外運動ができるようにバスケットコート程の広さをもつ中庭を持つ。

ここには心の病を患う主に10代の若者が治療入院している。

基地内は機密情報であるため写真はイメージです。

J&JのH.A.S.部門のデレクターは僕を名指しにしては、その病棟に就くようホワイトボードにマーカーで書き入れて指示をしてきた。

髭面の素行が大袈裟な白人やおしゃべりなラテン系を行かせるよりも、童顔で大人しげな東洋人の若者の方が、適任だと判断したらしい。

条件としては病室の施錠は出入りの際毎回実施、無駄口や鼻歌口笛禁止、極力音は立てずに業務にあたる。

個室に横になっている患者の無言をリスペクトする。普段業務で使用するビニール袋やハサミ、スクレイパーなど持ち込まない。万が一置き忘れれば自殺や自傷行為に使用される可能性があるためだ。
携帯する鍵束などジャラジャラさせてもいけない。


昼間でも病棟の個室は、遮光されており薄暗いというか、真っ暗に近い場合もある。

基地内は機密情報であるため写真はイメージです。

軽いノックの後、解錠し暗さに目が慣れるとマットレスだけのようなローベッドの上に横たわっていたり、うずくまっていたりする若い患者の姿が見えてくる。

僕がハウスキーピングと告げると大抵オーケー、こんにちは、トイレットペーパー置いていってとか普通の子のように喋ってくれていた。

ちなみにトイレットペーパーはここで使用されるのは芯がないタイプ、芯なしがどんな自傷行為を予防できるのか想像する気にもなれなかったが。

他の病棟とは異なる雰囲気の中で、僕は仕事に慣れていく必要がありそれは気を使うところが多くて大変だったがやりがいもあった。

キャスターチェアーなど動かしてデスクなどにぶつけて音を立てただけで、看護師や心理カウンセラーが僕を見て、首を横にゆっくり振りながら無言の嗜めを受けることがあった。


心療内科病棟は希望する担当スタッフが、定着しないせいかオンコールの僕が割り当てられる日々がしばらく続いた。

僕は数週間この病棟を出入りするうち若い患者の特徴を掴めるようにもなっていた。

薄暗い病室の中では容姿などははっきり見えないけど、声の調子やその輪郭からも特徴を理解できるし、それはかつて僕が少年時代持っていた気を病む雰囲気と酷似していたと思う。

あまり近づきすぎると、波長があってしまうほどのその若者から発する独特の孤独感を読めてしまう自分に緊張してしまうこともあった。

中庭に出てバスケや速歩運動のできる軽度のグループがいたが、彼らは陽の光の中で、はっきり見ることができたが極めて普通の大人しげな少年少女たちに映った。

多分、1週間くらいで退院して内服薬のみで普通の暮らしができるような若者たちだろう。

その中に15歳くらいのブルネットのリサという少女がいて、数メートル先の床を見てうつむき加減に歩く姿が印象的な子で、カートを押す僕とよく廊下でぶつかりそうになった。

病棟担当してから初めのうちは親指を口に当て僕の顔も見ずに通り過ぎるので、担当看護師が代わりに僕に謝るくらい僕には彼女が内気で非社交的に映った。

ある時、ケースワーカーのデスクルームのトラッシュ業務をしていると、女性のケースワーカーが振り向き僕の腕を軽く叩いて口元に指を当てなながら静かに話すようジェスチャーしながら『あなたは、ここにいる時はなるべく笑顔でいてくれる。』患者と私的会話はよくないが、フレンドリーでいて欲しいようなアドバイスを受けた。

そしてリサは明日から挨拶するから軽く受け流してとも説明してきた。それからというもの、リサはすれ違うごとにHi,と短い挨拶と僕の顔を見て通り過ぎるように。

僕も笑顔を意識しながらHiと小声でその都度返してあげた。
彼女の治療の一環に僕が役立っていたか怪しいものだが、やがて彼女は退院しその姿を見せなくなった。

この病棟経験で僕はオープンマインドなアメリカでも若者の内向化が進んでいる、というか日本人の僕たちが気づかないだけでアメリカにも内向的な若者や大人が普通に存在することをリアリティとして感じることができ、それはいい経験となった。

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