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【適応障害・うつ】休職に至るまで ♯2

昨年9月末に適応障害、うつと診断され、昨年10月から現在に至るまで休職しています。

今回は休職に至るまでの様子を振り返りたいと思います。

現在の職に就いて4年目となりますが、体の異変は1年目の冬には感じていました。

ストレスの原因は直属の先輩(50代)の無責任な行動と仕事への取り組み方に疑問を抱いていたことにありました。

元々自分は仕事に対して責任感が強く、向上心も高いため、このような先輩にはひどく悩まされました。もちろん、仕事に対して力を抜くことや他人に口出ししてもある程度は無駄だと思う精神も持ち合わせてはいましたが、度が過ぎる先輩の態度に悩まされていました。

無責任な言動に振り回され、ことなかれ主義の周囲の人たちには助けてもらえず、悩みながらもそれでも真面目に仕事に取り組もうとしたことが仇になり、2年目にはパニック症状や不眠、食欲不振など様々な症状が毎日出ていました。

具体的な症状としては、不眠、職場に行こうとすると過呼吸になる、手足が激しく震える、文字の読み書きができない(書痙など)、職場での食事や人前での会話がこわいと感じ困難になる、常にだるい、泣きそうになる、休日は何もできず1日中横になっている…など。

このころは大好きな動物園、水族館巡りもできないほど弱っていました。元気だったころは1年に何度も北海道から九州まで、大好きな動物に会いに動物園や水族館を巡っていたものです。

3年目には異動がありましたが、その後もその先輩や異動先の周囲の職員からの理不尽な言動や、「あなたならできる」「あなたにしかできない」などのプレッシャーに悩まされ、異動してからも激しい動悸や高熱があるかのような体中の痛み、突発性難聴などのさらに多くの症状があらわれ、通勤することが困難になってきました。その頃は業務や試験などが重なり、残業や休日出勤で休みもなく、毎日疲弊していました。

3年目(昨年)8月末には限界を感じ、心療内科に電話をかけ予約をし、1か月の待ち時間を経て、9月末に受診。「適応障害です。すぐに休職しなさい。」とのことで10月には休職しました。

昨年の8月に私を見た人は「激やせしていて声をかけられないほどだった」「げっそりしている」と言っていました。


簡単ではありますがこのような流れで休職するに至りました。
今思い出しても、休職するまで何年も呼吸するのも辛く、人間不信になるほど苦しい日々を送っていたなあと思います。

もし同じような症状がみられ、毎日しんどいと思う人がいたら、無理せずすぐに医師の診断を受けてほしいです。
どうか自分を大切にしてほしいです。

今日はここまでにして、次回は休職期間の様子を書いてみようと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


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