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【創作】タカラノアリカ(3,734字)【投げ銭】

「今や国内で全人口の約5%が頭に『包帯』を巻いている」

「四十代の男性が、妻39歳と娘17歳の二人の首をはね、殺害した容疑で逮捕。被害者二人の頭には、『包帯』が巻かれていた」

カズマは、新聞の二つの記事を複雑な心境で見比べていた。ふと目の前へ朝食後のコーヒーが差し出されたのに気付き、顔を上げる。目が合ったとき、妻ヨウコは一度だけ微笑んで、俯(うつむ)いた。壊れそうな儚い笑みだった。

妻の頭にも、『包帯』が巻かれている。

この世には、俗に『宝持ち』と呼ばれる人々が存在する。五体満足で脳にも異常は無いが、髪の毛が全く伸びないという障がいを持つ。しかも、思春期を過ぎると髪の生えていないその頭に刺青(いれずみ)のようなものが現れ出し、やがてそれが不思議なことに、埋蔵金などの宝のありかを示す地図なり、文章なり、暗号なりを形成するのである。

それゆえ、彼らは長くまともな人間としての扱い方をされてこなかった。『宝の刺青』を狙った、誘拐や殺人といった犯罪が頻発、さらにその防止策として、『宝持ち』の雇用・入学の規制や、店や公共の交通機関の利用禁止など、差別的な扱いが広まったのだ。その後の様々な運動や法改正等の成果により、現在ではそういった事件や差別は無くなったように思われたが、この日起こった事件が、『宝持ち』達にまた新たな不安の種を植えつけることとなったのだった。

「その容疑者の人、捕まる前は『宝持ち』愛護者として有名な人だったんですって……けれど、昨日のテレビで言ってたわ。サギだったって。『宝持ち』は遺伝するのよ。それで、娘を作って、二つの『刺青』を得ようとしてた……これは、計画的な犯罪だって」

まるで折れてしまいそうなか細い声でそう語るヨウコに、カズマは何も言えかった。

ヨウコは、自分が『宝持ち』であることに酷くコンプレックスを持っていた。髪も無い娘である自分に、寄って来る男は皆、彼女の包帯を気にし、まるでその下にある『刺青』だけが目当てであるように思われた。

けれどカズマだけは例外だった。彼はいつもヨウコのありのままの姿を見てくれていた。もちろんヨウコも疑わなかったわけではなく、本当は自分の『刺青』を見たいんじゃないかと何度も尋ねた。しかし彼はその度、「そんなもの見なくても、俺の宝のありかはわかるさ」と笑って返したのだった。

そして二人が結婚し、今日でようやく一年を迎える。それなのに、どうしても世間は彼らのことを幸せのまま放っておいてはくれないようであった。

今朝のヨウコの弱々しい微笑が、仕事中もずっと忘れられなかった。カズマには悔やまれてならなかった、なぜあのとき優しい言葉をかけてやれなかったのかと。だが、例えそれができたとしても何になっただろうか。

ヨウコはとても繊細な人間だった。学生時代、自分の体質を呪って自殺未遂を図ることも何度かあったらしく、今でも度々ヒステリーを起こす。特に自分の『包帯』に触れられることには敏感で、キスのときなど僅(わず)かに当たっただけで、ヨウコは酷く取り乱した。暴れる彼女をカズマが止めようとすると、「どうせそのうち、私なんか捨てるんでしょう? 『刺青』さえ手に入れば、必要無い存在なんでしょう?」そう言って夫を罵りさえした。

『包帯』の下は、しかしヨウコ自身、『刺青』が発生し始めて以来見たことがないのだ。コンプレックスの塊であり、自分でもおぞましいと感じるそれを、まして愛するカズマなんかに見られたら、そのときこそ彼女は自らの死を選択するかもしれない。

ここ一年で、そんなヒステリーも徐々に抑えられつつはあった。自分の頭に全く興味を示そうとしないカズマの心が本物であると信じられるようになってきたが、そんな矢先の今回の事件。一体どうすれば彼女をまた安心させることができるのだろうか、カズマは深く悩んでいた。今までもずっと悩んできていたのだ。それ故(ゆえ)、まだ二十代だというのに白髪の数も多くなっていた。

ふと、仕事机の引き出しを開けた。そこには金縁の綺麗な手鏡があった。ヨウコへの、結婚記念日のプレゼントだった。そこに随分疲れきった表情の男がいる。俺だ……やれやれ、ヨウコがマイる前に、俺の方がどうかなってしまいそうじゃないか、しっかりしろよ。カズマは苦笑した。

時計を見ると六時を回っていた。今日は早めに切り上げよう。ヨウコが待っている。手鏡を鞄(かばん)にしまうと、カズマはそれを大事に持って職場を出た。

自宅に帰って、カズマは愕然(がくぜん)とした。部屋は暗く、ヨウコがいる気配が無いと思ったら、台所のテーブルの上に一人分の手料理と、置き手紙があった。

「結婚記念日、おめでとう。カズマは今まで、私に全てを捧げてくれたよね。だから今日の記念日に、私もカズマに全てを捧げようと思います。あなたがプロポーズしてくれた、あの場所で待っています。―― ヨウコ」

嫌な胸騒ぎがカズマを襲う。ヨウコは一体何をしようとしているのか。カズマは鞄を持つ手に力を込め、家を飛び出すと全速力で走り出した。目指すは住宅街から少し離れたところにある、山の中の神社だ。

空には満月が、もうすっかり顔を出していた。それは下界で起こる人間の不幸などまるで気にも留めないような、煌々(こうこう)と照る月だ。プロポーズしたあのときもこんな明るい満月の夜で、幸せのあまりカズマは、「月が僕らを祝福してくれてるよ」なんて、鼻をつまみたくなるような臭い台詞を吐いたものだったのに。今はその月さえ、カズマにとっては憎らしかった。

どうして一人分しか料理が無かった? それは、ヨウコには食べる必要が無いから。そして、どうしてヨウコは家にいなかった?それは、家を汚したくないと思ったから。つまり、自殺して、彼女自ら頭の『刺青』を俺に捧げようとしているのか……。それは、ヨウコが心労の末に出した、あまりにも哀しい決断であった。……冗談じゃない。ヨウコ、死なないでくれ!

手料理からは湯気が上がっていたので、ヨウコが家を出てからまだ間もないだろう。しかし間に合うのか。カズマは思った、自分の足がもっと速く動いてくれぬものかと。このとき程、自分の運動神経の無さを呪ったことはなかった……ぜぇぜぇ、はぁはぁ。足が砕けるのが先か、心臓が破裂するのが先か。だが、ヨウコの元へたどりつけるなら、どちらでも構うものか。

そして、とうとう神社の鳥居をくぐったとき、月明かりが太い枝の木にロープをくくり付けようとしている女性の姿を照らした。

ヨウコ!――叫ぶと、ヨウコはこちらを一瞥(いちべつ)し、すぐに逃げようとするが、それよりも早くカズマの手が伸びる。

「やめてよっ、放して!!」

腕を捕らえられたヨウコはヒステリックに叫び、ひどく暴れた。しかしカズマは、放そうとはしなかった。

「いい加減にしろよ!」

そして今までに無かったようなきつい声で叫び、ヨウコの頭の包帯をつかむ。その瞬間ヨウコは、そのまま口から心臓を吐き出して死ぬんじゃないかと思うほど激しい金切り声を上げた。けれどカズマが力を緩めることはない――カズマに、迷いは無かった。

「何がそんなに怖いんだよ!? 今まで自分でも見たことないくせに、一体お前の頭に何があるっていうんだよ!? そんなの、俺に差し出す程の価値があるもんなのかよっ!!」

カズマは強引にヨウコの包帯を解いた。が、それでもヨウコは自分の頭を見せまいと両手で隠しながら、カズマの胸の中に顔を埋め、押し殺すような声で泣き始めた。

カズマは我に返り、妻の背中をぎゅっと抱いた。彼はまるで苦しみや痛みといったものをそのまま抱いているかのような辛さを、そのとき感じたのだった。

「……ごめん、ヨウコ……ごめん」

カズマもいつしか涙声になって、そう言い続けていた。だがその涙はまた、ヨウコを守りきれたことに対する喜びの涙でもあった。ヨウコの泣き声は、今や堰(せき)を切ったように溢れ出していた。

月明かりは、二人を優しく包んでいた。やがて氷が自然と溶けゆくように、二人の体の震えや泣き声は治まっていった。月は人間のことなど何も知らない。でもだからこそ、咎(とが)めるでもなく、無理に慰めるでもなく、ただ温かで、優しい光を放っていられるのだ。

暫くして、カズマは大事に持ってきた鞄から、金縁の手鏡を取り出した。それは月の光を受け、きらきらと輝いていた。

「結婚記念日のプレゼントだよ」

ヨウコはゆっくり顔を上げ、それを見たが、鏡であることが判ると直ぐに、顔を戻そうとする。しかし、カズマが優しく促すと、もはや抵抗せず、両手も頭から下ろし、再び鏡を見た。そこには、子どものように顔をぐしゃぐしゃにしたヨウコの顔があった。そして、その頭に『包帯』は無かったのだが――。

そこにあった彼女の『刺青』は、彼女の予想を遥かに覆すものであった。額より少し上のところに、傘のような絵がある。そしてその下には、「カズマ」「ヨウコ」という字が、傘の柄を間に挟んで並んでいたのだった。ヨウコの目から、再びこんぺいとうのような涙がぽろぽろ零れ出した。

「だから言ったろ。『刺青』なんか見なくても、俺の……俺達の宝のありかはわかるって」

カズマはそう言うとまた、ヨウコを強く、強く抱きしめたのだった。

(完)


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(画像出典:Free Images - Pixabay)

※あとがき※

2010年2月、当作品を日本文学館さま主催の「超短編小説大賞(第10回)」に、応募させていただきました。

残念ながら、受賞はならずということでご連絡をいただきましたが、それをまた次の機会に挑戦するためのバネにしたいと考えております。

応募にあたっては、妻に意見を求めながら、大いに文章に修正を加えました。ブログで最初に発表した頃よりは、少し読みやすくなったと思っております。

初めて読まれる方は勿論、以前読んでいただいた方も、また新たな気持ちで楽しんでいただけたら幸いです。

【作品、全文無料公開。投げ銭スタイルです】

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