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【少年野球】結局、エンジョイベースボールとは何なのか?

 「エンジョイベースボール」という言葉の解釈をめぐるネット記事をいくつか読んだ。コメント欄も含め非常に面白いので是非皆さんも検索して読んでみて欲しい。
 
 良く見るご意見に「ヘラヘラ笑って楽しむのがエンジョイベースボールだと勘違いしている親子がいるが、それは違う」というものがある。そういった類いのコメントをよく読んでみると、野球経験者や、現在どこかの野球チームで指導に関わっている人が書き込んでいるようで面白い。自分たちの価値観を否定されたことに最後の悪あがきをしているようだ。

 その人たちに共通する理論は「エンジョイするのは結構だが、それができるのは技術的な基礎ができていて、ある程度の頭脳がある選手の集団に限られる。そこに至るまでは大人がしっかり指導し、つまらない反復練習に取り組む必要がある」ということのようだ。ちょっと読んだ限りでは「確かに」と同意してしまいそうになるからそこがまた面白い。

 彼らの言い分を図にするとこうなる。

  【本番!!!】レギュラー獲得・試合で活躍する(最高に楽しい)
     ↑
  【下積み期】ポジション争い・チームの練習(つまらない)
     ↑
  【下積み期】個人の反復練習(かなりつまらない)

 この図式を当たり前だと思う層が、さっさと学童野球の世界から去ってくれることを祈るしかない。 

 今回は学童野球に限っての話にするが、上記のような図式をあたりまえに設定したチームで「エンジョイベースボール」など実現するわけがない。
 なぜならレギュラーとなって活躍するまでは、ずっと野球がつまらないからだ。それが当たり前だと思っている指導者が、当たり前につまらない練習を課すからだ。
 
もちろん、チームスポーツは最終的にはレギュラーを決めなければならないし、勝負には勝者と敗者がいる。そこをひとつの目標としてチームが活動していくことに異論はない。

 だが、学童野球に「下積み期」が本当に必要なのかということにもっと疑問を持たなければならない。だいたい「下積み期」とは何なのか?
 子どもたちは「楽しい」と感じれば勝手に素振りもするし、自分で検索してYouTubeで研究もする。楽しんでやっていることを誰も「下積み」とは表現しない。それはまさしく野球を楽しんでいる姿そのものだ。
 要するに、大人たちが勝手に「試合を楽しい本番」と設定し、それ以外の練習は「つまらない下積み」と決めつけいることが最大の原因だ。
 
 そうなってしまう理由はバカバカしくて書くのもはばかられるが、指導者や大人たちが「試合しか楽しいと思えない」からである。
 
 練習は全て試合のためにやっているし、試合がないなら練習する意味がないと思っている。子どもたちひとりひとりが練習の中でそれぞれに成長する姿には何の関心も感動もない。彼らの脳は試合に勝った時にしかあふれ出ないドーパミンを常に欲していて、練習はまさに「つまらない時間」そのものなのだ。

 「エンジョイベースボール」は、指導者がまず「野球の練習それ自体が楽しい」と思っていなければ実現しない。試合にしか興味がない指導者は結局自分自身が野球をエンジョイしていないのだ。
 
 そういう人たちにとっては「もっと楽しく練習をしましょう!」などという親子は「生ぬるい」としか映らないし、「野球とは厳しいスポーツだ」などともっともらしく上から目線ではねつける。
 だが実際は「野球にかこつけて健康的な博打を楽しんでいるだけだ」と自ら暴露しているようなもので、そのことに一切気づいていない。
 
 
「エンジョイベースボール」を実現するためには、「基礎ができいて、ある程度の頭脳がある選手」が必要なのではなく、「子どもと野球を愛する、ある程度の頭脳がある指導者」が必要なのだ。


 
 
 


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