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👤人を裁く権利はないから、自分の正義感を見直したい。

幼い頃から、正義感は強かった。
曲がったことは嫌いだし、間違っていると思えば正々堂々と立ち向かうべきだ。そう育ってきた。

ただ、大人になるにつれて『価値観の相違』だと気が付いた。むやみやたらに個人を攻撃したり、故意に傷つけることは許されるべきではないが、人の考え方はそれぞれだ。

ただ、人に人を裁く権利はないと考えている。人を追い詰め、攻撃することで得られるものは何もないからだ。

感情論(気に食わない、嫌い)であればなおさら。

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SNSを使っていると、様々な人が現れる。自分の意見に同意してくれる人、反対する人。反対を飛び越えて何かにつけて文句をいう人。総じて、自分に時間を割いてくれる人と認識している。

匿名であることをいいことに、あれこれ言いがかりをつけてくれる人をたまに見かける。嫌ならば見なければと思うが、そういう人に限って熱心に多くのものを読み漁っている。嫌なら見るなは彼らには通用しない。もはや新手のファンかもしれない。

言いがかりは、発信する人にとって『正義』の何者でもない。自分は正しいことをいっていると信じてやまない。それがただの攻撃とも知らずに。

気に食わないという、憎悪のパワーは物凄い。そんなことに労力を割くくらいなら、自分に時間を使えばいいのにと思うが、彼らにそれは通用しない。とにかく自分の正義を振りかざして、相手を蹴落としたい。悪いことをしている自覚などないからだ。

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時々、SNSでの書き込みを『総意』と受け取られることがある。このnoteもそうだが、一個人の見解だ。まさか私が人間代表などと、思うはずがない。捉える人の解釈によりけりなので、それも折り込み済みだ。

言いたい人はどんな些細な言葉も拾ってくる。仕方ないと割り切れば、幾分気持ちは楽になるかもしれない。
私自身も、これって違うんじゃないのと日々思うことがある。そのときに心得ていることは、自分の意見を伝えて、さらに相手はどう考えるかにフォーカスをあてることだ。

あなたの意見は間違っています!
私の意見の方が正しいです。

ではなく。

あなたの意見に賛同できないです。
なぜなら私はこのように考えます。
あなたはそれを踏まえてどう考えますか。

こういった建設的なやり取りができたら、本当は理想だ。(実際できないことがほとんど)

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石ころぶつけていい気になる人。自分の生活が満たされていないのか、それとも相手に嫉妬と憎悪があるのか。

感情論で判断してしまいがちなときこそ、自分の正義感を疑いたい。
何か疑問が浮かんだとき、『相手を攻撃する』のではなく『自分ならどうするか』を先に考えたい。

こういう場合、自分ならどうするだろう。

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相手を攻撃するのは簡単だ。ただ、自分に人を裁く権利があるのか今一度考えたい。匿名を使って蹴落とす時間があるのなら、自分が成長することに時間を充てたい。だからこそ。

正義感の強さは、誤れば暴走となり、人を傷つける刃となる。

相手に矢印を向けるときは、優しい気持ちで。
もう一度、自分の正義感について見つめ直したい。


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