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哲学が最強の学問である

「哲学してたら、日常のことは大抵できるようになる」

これは何を隠そう、ぼくの名言(!)なのですが、最近新しい人に会うにつけ「人生の意味なんて考えて、エクセルができるようになるわけない」という表情をされたので、この場を借りて釈明させていただきます。

そもそも、みなさん、いいですか。
哲学は何も人生の意味を考える学問ではないのです。

まず語源から辿りますと、哲学は最初「希哲学」と呼ばれました。これは明治時代に西周先生が「フィロ・ソフィア(philosophia)」(知を愛する)の訳語として考案したものです。

つまり元はギリシア語の意味のまま「哲(道理)を希む(のぞむ)」学問という意味だったのですが、明治の動乱のさなかです、語呂が悪かったのか何なのかいつの間にか「希む」の部分がなくなって、「賢い学問」みたいな意味不明な言葉になっちゃったんですね。のっけから悲しい扱いの哲学くん・・。

哲学者はもともと「知識フリーク」?

さらに語源の「フィロ・ソフィア(philosophia)」という言葉を辿ると、実はこれ最初「知識フリーク」みたいな意味だったようです。2,500年前のギリシアで、当時何でも「フィロ(愛する)」をつけて人を揶揄する風潮があったようで、守銭奴を「フィロ・お金」の人だとか、放浪者を「フィロ・旅」の人だとか、そんな風に使われていたんですね。だから当時の哲人たちが、お金にもならない「万物の根源」とか「三平方の定理」とか言ってるのを見て、「あいつらいつもフィロ・ソフィアしてんなw」という感じで使われ始めたそうです。(昔から哲学者は世間から浮いてたんですね・・)

ぼくの、きみのフィロ・ソフィア!

まあ何が言いたいのかといいますと、哲学は何も人生の意味を考える学問ではないということです。何かを考えるのが好きな人の集まりだということです。この「何か」の部分は、人によってまちまちですが、今回は「何かしらの法則を見つける行為」としましょう。

例えば「人が幸せになるには」という問いは「人が幸せを感じる法則を見つけ、それを実現すること」と置き換えられますし、「存在とは何か」という問いは「モノはどのような法則で自然界(および現象界)に成立しているのか」と言い換えられます。

法則を見つけるという考え方は、記号を用いて独自に発展した「数学」や、実験で世界を理解しようとする「物理学」と系譜を同じくするものです。ぼくの「哲学」は、数字の代わりに日常語を使う違いはあれど、これらと同じ轍に存在するのです。

ただしもちろん、これはぼくのフィロ・ソフィアの定義です。
「頭を使って何かを考える」という共通点さえあれば、あなたのフィロ・ソフィアがあっても良いのです。

哲学で仕事はできるようになるか?

冒頭の言葉です。

「哲学してたら、日常のことは大抵できるようになる」

これを言い換えるとこういうことですね。

「物事の法則を理解できれば、日常のことは大抵できるようになる」

社会生活は取り決めの連続ですもんね。
誰かが決めた法則に沿って、何かしらの行動で応える。

ぼくの本職はデザイナーですが、例えばデザインも法則の塊ですよね。UXとは「人間が何を好ましいと感じるか」という法則を理解し、適切なタイミングで適切なソリューションを提供することですし、真面目な雰囲気ならシックなカラーリング、子供向けならポップなビジュアル。それぞれ先人が築いた法則がしっかりとあります。

あとぼくは、エクセル(本当はGoogleスプレッドシート)がすごく好きなのですが、これはこのツールの持つ法則性が好きだからなんですよね。文字や数字といった材料を、関数という法則で調理する。そして雑然としていたデータが、次第に意味を帯びてくる。ああ……なんて素敵なツールなんでしょう

哲学が最強の学問である

すべては何かしらの法則で動いているんですよね。宇宙の成り立ちも、資本主義社会も、会社の仕事(セールスもマーケティングもプログラミングもなんでも)も、自然に出来たか、人間が意図して作ったかの違いはあれど、必ず何かしらの法則で動いています。だから哲学(=法則を考える活動)をしていれば、それらを自由に扱うことができます。

大事なのでもう一度いいます。
哲学してたら、日常のことは大抵できるようになります。

だから「仕事の効率的なやり方」みたいなビジネス書を読んでる方は、いますぐ本を置いて、哲学を始めましょう!

「どうやるか」ではなく「どうあるか」を考えるのです!

「方法」は状況が変わると使えなくなりますが、「法則」は状況が変わっても同じですもの。トランプの手札が毎回変わっても、ルールは絶対に変わらないように。

現代は、社会人スキルとして経営学やらデザインスキル・プログラミングスキルがもてはやされていますが、実はこの激動の社会においては、哲学が最強の学問なのではないでしょうか。


あとがき

何が面白いって「哲学が最強という法則」を見つける行為も、結局のところ哲学なんですよね。頭を使って考えるのなら、対象は何でもいいんです。最高の娯楽ですよね。

思えば子供の時から『1・1・2・3・5・■・13・・・。■には何が入る?』みたいなクイズが好きでした。知らないと解けない知識系のクイズとは違って、こういった『論理パズル』は考える行為そのものが楽しいんですよ。はじめからすべてヒントが出ているのに答えがわからないなんて、まるで精巧な推理小説みたいですよね! この「法則を知りたい」という気持ちが、だんだんと自然法則や社会の仕組みに向き始めて、いまの自分を形成してきた気がします。

同じ気持ちで大人になった人、無数にいそうですけど。なかなか出逢わないですね。みんな隠して生きてるのかな? 言えばいいのにな。

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