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【メモ(memo)】幸福になることよりも「不幸」に気をつけよ

生き方の目標を未来に求める、という構造を考えてみますね。

これは、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが、

「未来への投企(プロジェクト)」(※)

と呼んだものです。

手に入れたい目標が未来にあり、そのために、情熱を込めて精力的に活動するわけです。

※:
サルトルは、人間の実存の本質は自由な選択にあると考えました。
人間は自由を行使して、未来へ向けて自己自身を投企する。
それをサルトルは実存投企と言っています。
人間は実存投企することで自分自身の未來を切り開いていく。
つまりサルトルの議論は、現在から未来へと発展的に展開するというベクトルをもっていることになります。
そこがハイデガーとは違うところです。
ハイデガーは、未來のあるポイントを基準にして、そこから現在に遡及するようなベクトルで物事を考えていました。
未來のあるポイントを、人間にとっての完成された姿として位置付けたうえで、人間の営みは、その完成態へむかっての努力だと述べています。
それに対してサルトルは、現在を基準にして、そこから未來へ向かって自由な投企をするのだと述べています。
未来は完成態としてではなく、あくまでも可能性として捉えられている点がポイントとなります。

このプロジェクト型の活動は、実は、ごく普通の生活や、仕事でも採用されています。

このタイプの活動は、狙ったものを手に入れると目標に達します。

一見したところ、幸福になりそうに思えますよね。

ところが、私達は、いったん目標が手に入ると、それは用済みになってしまい、それを継続して、維持するという、とても大切な目標を立てずに、むしろ蔑ろにしてしまい、別の新たな目標が、再び立てられ、そこへ向かって邁進するわけです。

そして、これが繰り返されます。

ここでの気付きは、目標にも選択が重要で、地味な目標程、敬遠されがちだという点です。

確かに、自分自身を省みても、コツコツって、とても難しい行為です。

そのため、この活動は、新しい目標に向かっているときだけ、ワクワクさせてくれます。

しかし、目標に達すると、それには、興味がもてなくなってきます。

この活動の問題点、それは、その意味や意義を、未来に求めるため、それによって、現在(すでに手もとにあるもの)は、常に、空虚に思えてしまう点です。

「現在の不幸と未来の幸福」

これが、この活動の条件であり、解決しないといけない点でもあります。



ここで、ちょっと、みなさんに質問しますね。

あなたは、ハッピー・パーソンですか?

日本語にすると、幸せな人、です。

英語のハッピー・パーソンとは、もちろん、幸せな人の意味もありますが、うれしい、楽しい、朗らかな人、という意味もあります。

つまり、普段から楽しく、うれしく、明るく生きているかなんていうような、人の姿勢みたいな意味も含まれています。

日本語の幸せとは、少しシリアス。

英語のハッピーには、シリアスの中にも、明るさや、楽しさのイメージが、もっとあるように思います。

ハッピー・パーソンと一緒にいるのは、楽しいし、こちらもハッピーになれます。

相乗効果で、周りもハッピーが増えて、さらにハッピーというところ。

あなたは、そんなハッピー・パーソンでいるために、何か理由が必要ですか?

実際のネイティブの方々は、カジュアルな感じで、「うれしい」とか、「満足している」という状況に対して、使うことが多いようです。

カジュアルじゃない場面では、

"delighted"や、

"satisfied"を、

使うケースが多いですね。

また、

「喜んで~する」という時、

「めぐり合わせが良い」という時、

「ぴったり、適切な」という時、

「夢中な、やたらと~したがる」という時、

にも、"happy"が使用されるようです。

この”happy”の語源は、

偶然におこる、

発生する、

運命、

出来事、

という意味の「hap」や「happen」が起源とされています。

日本語の幸せの語源の一つである「仕合わせ」も、なんと「めぐり合わせ」という意味があります。

不思議ですね。

良いことがあれば、確かに、ハッピーになれますが、そんなことに関係なく、普段から楽しい人っていますよね。

その様な方は、たぶん、良いものでも、悪いものでも、人生での経験に感謝している様に感じます。

良いことでも。

悪いことでも。

自分の考え方次第で、それを、これからに役立てられたら良いだけなので、楽しく、明るく、ハッピーでいるのに、わざわざ、理由などなくてもいいのです。

常に、何かについて、悪いところばかりが目に付き、文句ばかり言うクセがついていないか、要チェックです。

こんなクセがついていると、どんな良いことが起きても、その中から、わざわざ悪いところ、ネガティブなところを探して、自分で、アンハッピーにしてしまうので、とても残念です。

常に、は難しいかもしれませんが、感謝する気持ちを持っていれば、ものの見方は、自然と変わってきます。

その様に変化していければ、余裕もあって、さらに、良い運気を招く体質を備えていけるかもしれません。

ポジティブなところだって、マイナスに見えることだってあるし。

ネガティブなところも、プラスに見えることもあるのだから。

そう考えることで、周りに影響されないところに注意してみてください。

そうして考えると、ハッピーになる理由など、必要なら、自分で勝手に、いくらでも作ることができると考えられます。

ハッピーでいる理由も、アンハッピーでいる理由も、実は、全く同じ。

自分の考え方次第で、どちらへも、転ぶのです。



さて、本題に戻って、しかし、こうした活動は、いつまでも、つづけることができませんよね。

未来への投企は、どこかで、終わらざるをえません。

また、生活にしても、仕事にしても、どこかで、プロジェクトできなくなってしまいます。

そのときには、未来のものを求めることができませんので、不幸しか残りません。

ここで重要なことは、いかに不幸を遠ざけるか?です。

そう考えると、幸福について考えるよりも、不幸を、いかに回避するかの方が、重要かもしれませんよね。

その代表的な考えとして、オーストリアの精神分析学者ジークムント・フロイトが、「文化への不満」の中で、こんなことを語っていました。

「幻想の未来/文化への不満」(光文社古典新訳文庫)ジークムント・フロイト(著)中山元(訳)

「最も厳密な意味での幸福は、強くせき止められていた欲求が急に満足させられるときに生まれるものであり、本来挿話的な現象としてしか現われないものである。

快感原則が望んでいた状況も長続きすると、気の抜けた快適さをもたらすにすぎないのである。

私たちは、激しい対照(コントラスト)だけに快感を覚えるものであり、快を覚える状況はごくわずかのあいだしか享受できないものなのである。

このように、人間が幸福になる可能性というものは、私たちの心的な構成のために制約をうけているのだ。

ところが、不幸を経験するのは、はるかにたやすいことなのである。」

フロイトの考えに拠れば、私たちにとって、幸福は、一瞬だけしか訪れず、むしろ、不幸になるほうがたやすいようです。

とすれば、私たちが求めるべきは、幸福よりも、不幸の回避が、賢い選択になるかもしれませんね。

しかし、こう考えてしまうと、人生が、味気なく感じてしまうのが厄介な点だと思います。

先人の行いをみると、破滅だとわかっていても、一瞬に賭ける人が少なくないのは、そのためかもしれません。

但し、心身ともに健康でないと、思うようにならないことも多いと思うので、まずは、幸福よりも、不幸の回避を優先してみると、

状態が良好、

幸せな状態、

健康な状態、

満足できる生活状態、

を意味するものとして用いられている、ウェルビーイング的な対応でも良いと思います。

ようするに「良い状態」という感じですね。

ウェルビーイングは、比較的、新しく使われるようになった言葉で、有名になった世界保健機関(WHO)の憲章の中の一文を紹介しておきますね。

「健康とは、身体面、精神面、社会面における、すべての well-being(良好-性)の状況を指し、単に病気・病弱でない事とは意味しない」

自身の体験でも、全く同じイベントに向き合っても、こうも受け取り方が違うものか、そして、こうもムードが違うものかと、本当にびっくりしたものでした。

起きることや、外側のことに、自分が良い状態でいるかどうかを決めさせてしまうのは、勿体ないですから、自分でコントロールしたいですね。

ウェルビーイングに注意して、くれぐれも、ご自愛下さいね。

そう思って、ウェルビーイングでいると、決めてみてはいかがでしょうか。

【今日の短歌】

「ひとり酌む新年の酒みづからに御慶(ぎよけい)を申す(すこしは休め)」
(岡井隆『神の仕事場』より)

「幸せだ!バスが涼しい!幸せだ!バスが涼しい!バスが涼しい!」
(逢坂みずき『虹を見つける達人』より)

「つよい国でなくてもいいと思うのだ 冬のひかりが八つ手を照らす」
(中津昌子『むかれなかった林檎のために』より)

「ふるさとはハッピーアイランドよどみなくイエルダろうか アカイナ マリデ」
(鈴木博太「ハッピーアイランド」『短歌研究』2012.09より)

「ではなく雪は燃えるもの・ハッピー・バースデイ・あなたも傘も似たようなもの」
(瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』より)

「やさやと生存圏を拡げつつ浮かぶや宙に愛のピカチュウ」
(上條素山「外大短歌第7号」より)

「自転車の高さからしかわからないそんな景色が確かにあって」
(加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』より)

「呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる」
(穂村弘『シンジケート』より)

「君を択び続けし歳月、水の中に水の芯見えて秋の水走る」
(河野裕子『紅』より)

【参考図書】

「にげてさがして」ヨシタケ シンスケ(著)

「それしか ないわけ ないでしょう」ヨシタケ シンスケ(著)

「訂正可能性の哲学」(ゲンロン叢書)東浩紀(著)

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