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どれも正しい選択だとしたら、どうしますか?

人生ではどっちにしようか迷うときって必ず出てきますよね。

迷うときは、どちらも正解というか、どちらにもメリットがあり、デメリットがあり、どちらにも不安があり、などと、似たり寄ったりで、困っちゃいますよね。

たとえばキャリア。

転職したい。

でも今の安定した生活も捨てがたい。

転職できるかどうかわからないし・・・・・・夢があって、それを追いかけていってもいいのかな。

それで食べていけるんだろうか?

それとも、今の仕事をやはり続けていくほうが確実なんだろうか?

なんていうのは、本当に多くの方が迷うところ。

ここに、年齢なんか考え始めると、もっと迷ったり。

ほかにも恋愛でも、彼と別れるほうがいいのかどうか迷ったり。

私たちが普通、何か良いことや嬉しいことがあって、「生きている甲斐がある」、「生きていてよかった」と思えることも、それは一時的なことで、私の感覚では、茶碗のように、ふとしたことで、壊れてしまうようなことが多いような気がします。

私たち人間の普段の生活と言うものは、普通に過ごすことができる時には気にもかけませんが、実際は、微妙なバランスの上に成り立っています。

細い紐の上を綱渡りしているようなもので、だれかが理解してくれているとか、愛され、大切にされていることがわかるとか、だれかを愛しているとか、未来に対して意志や希望を持っているとか、そういうものを支えにして、人生という綱の上をわったています。

そして、本当にふとしたことで、そのバランスがくずれてしまう時、私たちは、苦しみや悲しみを感じ、不幸のどん底に落ちてしまうように思えるのです。

そして、私自身の経験では、バランスうまくとって、さらに、「生きている喜び」、「生きがい」を感じる時よりも、綱から落ちかけたり、あるいは落ちてしまって、悲しみや悩みを抱えている時のほうが多いように思われます。

作家の林芙美子は、自分の人生を振り返って、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という有名な言葉を残しましたが、私も、人生は「苦しきことのみ多かりき」のように思えます。

人は自分が幸せな時にはそれに気付かず、病気や苦難に耐えている時に、やっと幸せに気付きます。

アメリカの詩人ホイットマンは「寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」と詠っています。

思想家の内村鑑三は、「幸不幸について「永生の希望なくして、最も幸福なる生涯もあわれむべき生涯なり。永生の希望ありて、最も不幸なる生涯もうらやむべき生涯なり。生涯の幸不幸はこの希望の有無によりて定まる」と説きました。

大切にすることは、簡単そうで、本当は難しいことですね。

私自身も、毎日の生活の中で、本当にいろいろなことが重なるから、考えさせられていますね。

なぜ、私たちは、生きていてよかったと思えるようなこと、生きる意味や生きがいを見い出だせなくなってしまったのでしょうか。

多かれ少なかれ、実は心の奥そこで、「つまらない」と感じているのことはないですか?

人は時に弱く、時に強く、そして全ての気持ちは儚いって、感じることはないですか?

で、どちらが正しいのか、ということになると、周りが何をどう言おうと、何をアドバイスしようと本人にしか判断できないのです。

どっちも正しいとしたら、どちらを選ぶか。

結局は、何を基準に選ぶか、自分の中のプライオリティ(優先順位)ですね。

なので、自分にとって何が今大事なのか、を普段から意識できていると、選択するよりどころが出てきます。

ただし、状況によってその軸も揺らいだり、プライオリティも変化するでしょうから、柔軟性を持って臨機応変でいいのです。

本当の答えは、自分でしか出せないし、周りがなんと言おうとも、自分でこれでいいと思う決断で十分。

でなければ、痛みや後悔の素になることもあります。

よくあるのが、とくに転職を考えるときなど、今の仕事を辞めるのは、「逃げだと思われるかな?」と迷ってしまうこと。

それが本当に逃げかどうか、心の奥底では知っているのですが仮にそれが「逃げ」だからと言って、それをとくに恥じることもないと私は考えます。

もし周りに逃げだと思われるのがイヤで、それが何よりも大事なら、逃げない道をとれば良いのです。

逆にそう思われてでも何でも、とにかくこの場を離れることが私にとっては大事だ、と思えるならそれで立派な選択です。

そもそも、周りが思う逃げと、自分が考える逃げと定義が違うことだってあるし。

自分の中では言い方はいくらでも変えられます。

思い出したいのは、逃げだと言う人はいつでもいること。

何かすれば、非難する人は大体いつでもいるのです。

他人の心の事情まで、本当に知っている人は数少ないもの。

知らない人にあれこれ言われてもそれはそんなに正確な情報とはいえません。

また、本当に逃げかどうか判断するのは、自分だということ。

他人が知らなくてもいいこともたくさんあります。

正直でいることと、周りにすべてを開示することは、違っていてもいい。

逃げる選択はしないほうがいい、というのは確かにありますが、ときには逃げるが勝ち、ともいうではありませんか。

たとえここで逃げたとしても、次こそは踏ん張るんだ、と決意するきっかけになるなら、それは意味のあることにできます。

あなたが最近迷っていることは、何でしょう?

どちらも正しい選択だと仮定するなら、何を優先したいですか?

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