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≪短い時間≫

この世には、どんなに頑張っても避けられないものがあります。

そう、時間です。

時間という目に見えない概念をとらえるために、分、時間、週、日、月、年、世紀、ミリ秒、マイクロ秒、などのさまざまな単位がありますが、全ての基本となっているのが「秒」です。

例えば、写真というのは、過去の、ほんの一瞬を写したものです。

一眼レフカメラだと、通常、シャッタースピードは1/60秒以上の速さが必要です。

これより遅いと、手ブレを起こしてしまいます。

つまり、写真は、1秒のわずか60分の1の、きわめて短い時間の過去の一瞬を写し取ったものといえます。

ところで、指を弾くのに要する時間の長さ(弾指)の65分の1(または、75分の1など諸説あり)した時間の最小単位を、仏教用語では、刹那といいます。

短い時間といえば、日本では、「一瞬」や「刹那」といった言葉が存在しますが、これらの元となっているのは、仏典に書いてある時間の単位なんですよね。

まずは刹那について。

『阿毘達磨倶舎論』(5世紀頃成立)によると、刹那=1/120怛刹那=0.013秒です。

続いて、一瞬について。

『摩訶僧祇律 巻十七』(408年頃成立)によると、一瞬=1/20弾指=0.360秒です。

実際に、現代の科学で、計測することができるのは、100アト秒(※)が最小です。

Note:(※)アト秒(as)=(10-18秒)

つまり、現在、計測することのできる最小の時間は、0.0000000000000001秒というわけですね。

話を刹那に戻すと。

本来は、刹那という極めて短い時間を大切に生きよという教えだったんですが。

一般的には、刹那主義という言葉で使われ、過去や将来のことを考えないで。

ただ、現在の瞬間を充実させて生きればよいとする考え方です。

悪く言えば、今さえよければと、一時的な快楽を求めようとする生き方にも通じます。

このような時間的展望は、人間が生きることの意味を問う存在へと導いてくれます。

つまり、人生の有限性や死の認識は、生きる意味や今を生きることの大切さについても考えさせてくれんですよね。

時間を逆算して考えるようになると、一度しかない人生であることの重みが増すからなんです。

人生に限りがあるとわかるから、より真剣に考えるのではないでしょうか。

人生の終わりとして死があり、限られた時間を考えることで、「今を大切にしよう」と考えられることはいいことだと思います。

そうそう、仏教において、「刹那生滅の道理」という概念が存在します。

これは、万物は、刹那に生じて刹那に滅し、刹那に滅しては刹那に生じるという概念であり、人の一生というものは、刹那の出来事であると考えられています。

「たった一度の人生だから」と、自分の人生を大切に考えられますよね。

だからこそ、今やっていることを愉しまないと(^^)

まだ先のことで、今を暗い気もちで過ごすのは、できるだけやめにしようよ。

過ぎたことで、今をイヤな気もちで過ごすのは、できるだけやめにしたい。

今できるやりたいことをやって、今を少しでも楽しく、そして幸せに過ごそう。

人生の有限性や死や残された時間について、否定的・悲観的に考えないように心がけつつ。

自分の人生や限られた時間、そして生命を大切にすることを考えられたら、と思います。

でも、悩みは、いつも現在進行形ですよね。

いま抱える悩みが、人生最大の悩みになる。

過去を懐かしんだり、楽しかった過去に戻りたいこともあると思います。

しわひとつなく、若々しく、美しく輝いていたあの頃。

あの日にかえりたいと思うことも、たまには、あるかなぁ~?(^^)

そして、辛かった日々。

そして、楽しかった日々。

でも。

あの日にかえりたい。

そう想うとき。

あの日の「わたし」も想い出して上げたいですね。

あの日に戻れなくても。

あの日の「わたし」は、いまの「わたし」の中で生きているのですから。

あの日の「わたし」だけは、取り戻せることが、きっとできるはずです(^^)



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