【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その5)
私達は、誰でも、
「心地よいコミュニケーションをしたい」
「嬉しい気持ちになりたい」
「楽しみたい」
という思いを持っています。
人間関係の普遍的な原則を記した名著「人を動かす」にも、
「人を動かす 文庫版」D・カーネギー(著)山口博(訳)
「笑顔を忘れない」という原則が挙げられています。
笑顔の重要性について、カーネギーさんは、以下のように話しています。
「動作は言葉よりも雄弁である。
微笑みはこう語る──「私はあなたが好きです。あなたのおかげで私はとても楽しい。あなたにお目にかかってうれしい」犬がかわいがられるゆえんである。
我々を見ると、犬は喜んで夢中になる。
自然、我々も犬がかわいくなる。
赤ちゃんの笑顔も同じ効果を持つ。」(デール・カーネギー『人を動かす』より引用)
私達は、表面上の言葉以上に、表情や態度に相手の真意を感じるものです。
だからこそ、コミュニケーションにおける「笑顔」は大切なのでしょうね(^^)
笑顔は、目に見えなくても、声に乗って相手に届きます。
「笑顔の効果は強力である。
たとえその笑顔が目に見えなくても、効果に変わりがない。
アメリカ中の電話会社が実施している一つの企画がある。
〝電話パワー〟と名づけられたこの企画は、サービスや商品を売るのに電話を使うセールスマンたちを対象にするもので、「電話でセールスをする時は、笑顔を忘れるな」というのがモットーなのである。
〝笑顔〟は声にのって相手に伝わるというのだ」(デール・カーネギー『人を動かす』より)
同じ状況、同じ内容であっても、笑顔の場合とそうでない場合とで、相手が受ける印象は大きく変わっていき、大人になるついれて、1日の笑顔の回数も、こんな感じで、
「子どもは一日400回、大人になると一日15回」
減少してしまうようです( 一一)
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「踏まれても咲くタンポポの笑顔かな」良寛和尚
また、俳人の種田山頭火は、タンポポの句をたくさん残しています。
たとえば、こんな句もあります。
「けふはけふの道のたんぽぽさいた」
「すずめをどるやたんぽぽちるや」
「もう転ぶまい 道のたんぽぽ」
「今日の道のたんぽぽ咲いた」
「裏口からたんぽぽにたんぽぽ」
そんな山頭火のたんんぽぽ俳句の特徴的な一句が、
「ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ」
です。
タンポポは、高く伸びるわけでも、茎に葉を、つけるわけでもないため、上へ上へと伸びる植物との競争に、けっして強くもなく、光を奪い合うような競争でも、勝てません。
かわりに、他の植物か、゙生育できないような場所を選んで生えます。
それが、よく踏まれる場所なのです。
よく踏まれる場所では、上へ上へと茎を伸ばすような植物は成長することができません。
上へ伸びようとすれば、踏まれて茎が折れてしまうからです。
タンポポは、小さな草ですが、日当たりの良い場所で、存分に光を浴びて光合成をしています。
踏まれる場所を選んでいるから、背が低くても光を浴びることができます。
そして、背の低いことこそが、踏まれる場所に生えるために有利な特徴だったのです。
こうして、タンポポは、踏まれる場所に、好んで生えています。
踏まれることに、耐えているわけではなくて、踏まれる場所を、利用しているのです。
「ふまれてたんぽぽ」と詠まれたタンポポ、実は、踏まれても咲いているという、健気な花ではなくて、むしろ、踏まれる場所を選んで咲く、強かで、逞しい花だったんですね(^^)
人間の世界も、自然界と変わりなく、どこに行こうが、けっこう陰湿で、ぐちゃぐちゃに弱肉強食な場所も、多く存在しています(^^;
だからこそ、やさしさに触れると、本当に気持ちがいいのかもしれませんね。
本でも、音楽でも、映画でも、絵画でも、何でもいいのだけれど、やさしさは、やさしさからしか、生まれないんじゃないかなあ。
そして、文字や映像に表現されたものは、すでに固定されています。
だから、そこに込められたものが変質することはありえません。
でも、表現する人間は、変わります。
本質が、やさしいとか、そうではないとか、それはありえない。
たまたま、何かの影響で、そのどちらかが、強く引き出されているだけだと感じます。
本当に、シンプルなことなのだと、想うんだけど、ね(^^)
「ピラカンサ声に出してみる ピラカンサピラカンサピラカンサ」
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嫌なことが続いたりすると、
「当たりくじだけのくじ引きがしたい」
なんて言葉に、なんだかとても惹かれたりして。
分かるようで、分からない。
でも、あるとき、ふと思う。
俳句にしても、短歌にしても、詩集にしても、平安時代の選集である「古今和歌集」とか、「百人一首」とかの編纂者さんにしても、突き動かした純粋な衝動というものがあるとしたら、もしかして、こんな感じだったのだろうか?
「つはぶきの花は日ざしをかうむりて至福のごとき黄の時間あり」
(小中英之『翼鏡』より)
そう思えたら、
ああああああああ!
「せつなさに浚いの風よいま吹けよ」
世の中、そんなこともないんじゃない?
ということが、本当は、いっぱいありそうです。
厳しい表情などしてなくたって。
笑いながらだって。
すばらしいものを残しているたくさんの人たちがいる。
目を背けていただけで。
今も、昔も、たぶん、いっぱいいるんでしょうね(^^)
「花八手憑く魔の所為を追い払へ」
だとしたらですよ。
「どうせ」とか。
「しょせん」とか。
そんな言葉は、苦手になってみる。
ほんとは、
はっきり、
くっりき、
ぱっきり、
ぽっきり、
と、
その言葉たちを、
封じてもよくて。
「石蕗はくすまぬ生ぞ片時も」
自虐と謙虚は全然違うから、自分をおとしめてみても、他人の足を引っ張ってみても、そこから見える景色は、なんもかわらないもんね。
誰かと比べる必要なんてないんじゃない?
「未来図の葉脈となりし六花」
そんなの解っちゃいるけれど。
やっぱり、大切なことは、互いの違いを認めること。
「喜びを全身に詰め桜東風」
あたり前ですが、もしも、100%、同じ考え方をする人間が現れたとしたら、人ってどうするんだろうなぁ~とか、ときどき、意地の悪いことを考えてみることって、面白いよね(^^♪
あり得ないことだけど、どうするんだろ?
【百人一句(俳句)】そこにクローズアップ(面白味を見ようと)してみると(その5)
「黄蝶ノ危機ノキ・ダム創ル鉄帽ノ黄」
(八木三日女『赤い地図』より)
「下京や雪つむ上の夜の雨」
(野沢凡兆『猿蓑』より)
「外套の裏は緋なりき明治の雪」
(山口青邨『露団々』より)
「気絶して千年氷る鯨かな」
(冨田拓也『青空を欺くために雨は降る』より)
「泣くことも柿剥くことも下手なりけり」
(橋閒石『橋閒石俳句選集』より)
「仰向けや胸森林と星面感覺」
(折笠美秋『火傳書』より)
「空へゆく階段のなし稲の花」
(田中裕明『夜の客人』より)
「鶏頭を三尺離れもの思ふ」
(細見綾子『冬薔薇』より)
「犬がその影より足を出してはゆく」
(篠原梵『年々去来の花』より)
「枯蓮を手に誰か来る水世界」
(生駒大祐『水界園丁』より)
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