ゴッホはジミヘン。
絵画や美術館に行ったりするのは、幼少期に見たピカソ展と忌野清志郎さんの存在は大きい。
生前に忌野清志郎さんは絵のお話をされていた。
RCサクセションを結成し、バンド活動をする傍ら清志郎さんは美術部顧問の先生と仲が良く、油絵を描いていた。
RCの初期楽曲『僕の好きな先生』はその顧問の先生の方を歌っている。
ロックンロール研究所というファンの方々にはお馴染みのプライベートスタジオ。
レコーディングスタジオの隣をアトリエにしていたことも生涯絵画への熱は冷めなかったということだろう。
音楽一辺倒に見えてそうでないところがどこまでも清志郎っていいなぁと思わせる表現センスの源流なのかもしれない。
考えてみれば忌野清志郎というシンガーほど多岐にわたる活動をしていたシンガーもいないのではないだろうか。
やりたいことは決して曲げない人。
初めて清志郎さんを認識したのは、まだ鳥越俊太郎さんが司会をされていた頃の『僕らの音楽』にウルフルズが出演した際に、ゲストアーティストとして出演されており、「Day Dream Believer」を歌われていた時だった。
目の回りをメイクして花柄のシャツに金色のジャケット、愛嬌抜群の歌声を響かせる謎の人物に興味津々だった。
清志郎さんはある時期サイクリングにハマり出した。買い物ブギーよろしくちょっとそこへのママチャリタイプではなく、山々を駆け抜けるスポーツタイプのあれだ。
ある時、清志郎さん所有の自転車が盗難にあい、テレビのニュース番組で
「僕の自転車返してください」
と訴えかけていたことはギリギリ覚えている。
(その後無事見つかっていた)
俳優業もされており、亀梨和也、山下智久、堀北真希、戸田恵梨香など、我々世代ドンピシャの俳優陣で作られた名作ドラマ『野ブタ。をプロデュース』毎回2分ぐらいは出てくる神社の神主さん役で出演されていた。
音楽も絵画も読書も、その作品に触れれば作った本人に会いに行ける。現象に惑わされてはいけない。
ゴッホはジミヘンだねって清志郎さんが言っていた意味は最近ちょっとだけ分かった気がする。
好きな曲。
「聞こえない歌を繰り返し聴かされる。
ミリオンセラーの彼女の作り笑いが笑う。」
ぶっちぎりの歌詞にヒヤヒヤするフリをしながら心の中ではニヤッとしている。
曲の最後で「発売中止です」と叫んだシンガーは忌野清志郎しかしらない。
いつもありがとう清志郎。
THANKS!
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