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ショートショート 白いカサブランカ

初めて死体を見たのは中学生の時だった。
それは祖父の葬儀で「ご遺体」と呼ばれていた。

最期は苦しかったのか、祖父の口もとは歪んでいた。私はその歪んだ口が怖くて避けるように、棺に横たわる祖父の足元に白い花を置いた。カサブランカというらしい。
祖母は、祖父の顔まわりを幾つものカサブランカで飾った。私もいつかは死体に慣れてそんなことが出来るのだろうか。

たくさんの白いカサブランカで囲われた祖父は、そのまま扉の向こうにいった。
ガチャン。無情な金属音が響き、続いて僧侶の読経が聞こえる。

怖さと同時に、私には初めて死体を見た奇妙な高揚感があった。一週間前、祖父の容態が悪いことを知らされたとき、どこかで期待したのだ。このまま祖父が死んでくれることを。そしたら、ドラマで役者が演じるものではない、本物の死体を見ることができると。

それからかもしれない。花屋で、白い花を、カサブランカを目にすると、あの時の祖父の歪んだ顔を思い出してしまう。それだけではない。罰なのか何なのか、何故か、なぜか…。

「だからって白いブーケを避けるとはね」
写真にはタキシードの隆弘の隣に、ウェディングドレス姿の私。手には淡いブルーの花をを集めたブーケ。白を使わないようにお願いしたのだ。
「でも、いいでしょ。ブーケが白じゃなきゃいけないなんて、決まってないし」
「そうだね。綺麗によく撮れてるよ」
隆弘は届いたばかりの写真に、また目を向けた。

私たちは1ヶ月前に結婚した。結婚といっても式は挙げてない。かわりに東京駅をバッグにウェディングフォトを撮った。選んだマーメイド型のドレスに、フローリストは白いブーケを勧めたが、私は水色をお願いした。白いドレスに淡い水色の花束。自分でいうのも何だが、さながら人魚姫のように似合っている。

「おめでとうございますっ」
朝の朝礼時、私と隆弘は前に呼ばれ、若い女から花束を渡された。入社2年目の彼女は、上司である隆弘を好きだったとか、昔付きあっていたとか何とか。隆弘本人に追及したこともあるが、軽くはぐらかされたし、今となってはどうでもいい。だって隆弘は私の夫だもの。でも、この花束は気に食わない。よりによってカサブランカ。それも白い大輪の。

「そう、カサブランカです!お好きだって聞いて」
私が何も言わずに注視するからか、話を振ってきた。好きだなんて、言った覚えはない。そもそも花の好みを言うような仲ではないのに。あーあ、カサブランカに囲まれた祖父の顔が、ゆがんだ口が蘇る。
「ほんとは入籍された時にお祝いしたかったんだけど、皆が揃った時がいいねって、それで今日がそうだってわかって、花屋に私が…」

彼女の話が耳に入ってこない。ほら、やっぱり変だ。変なにおいを感じる。花じゃない、微かだが煙たい、お焼香のにおいがする。
「ごめん、私、やっぱり無理…」

女の話を聞きながら頷く隆弘に耳打ちする。
「え?あ?気のせいじゃない?」
「だめ、無理、やっぱり嫌なにおいがする」
「花の香りでしょ?」
隆弘はこの場を汚すなと言わんばかりに、私の訴えを聞こうとはしない。
「写真とりましょうよ」
女がそういってスマフォを取りだした。私と隆弘を真ん中に、皆に並ぶよう促す。
だめだ、気持ち悪い。息を吸うな、とめよう。少しだけ、少しだけ我慢しよう。
あれ、遠くから、あの低いお経がきこえてくる。だんだん声が近づいてくる。耳から頭の中に流れてくる。声は大きく、まるで私に向けられた弔いのよう。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時ー

白いカサブランカ。
今、黒い服に身を包んだ隆弘とあの女が、私の顔の横に、そっとそれを置く。不思議ね、もう何のにおいも感じない。

これはやっぱり、罰なんだろうか。



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