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#BlackLivesMatterへの違和感から(青年とネコ)

青年:……ただいま。

ネコ:おかえり。 なんか元気ないように見えるけど。

青年:……うん。ちょっとね。

ネコ:どうしたの?

青年:……差別について考えてて。

ネコ:……差別か。 考えるきっかけでもあったの?

青年:うん。最近ニュースを見ててね。すごく嫌な気持ちになるんだ……。差別によって、また一人の黒人の方の命が失われてしまった。 

ネコ:……そうなんだ。

青年:#BlackLivesMatterっていう、黒人差別抗議運動がすごく活発になってる。日本でも、渋谷でクルド人が警察官から人種差別で暴力を受けたって言って、デモが起きたばっかりなんだよ。

ネコ:そっか。

青年:あと、この前「グリーンブック」って映画を観たんだ。

ネコ:うん。

青年:この映画は1960年代のアメリカが舞台で、黒人の人種差別がテーマでもあるんだけど……今の社会も変わらないなって思っちゃってさ。人の命を脅かすことはあってはならないし、「BlackLivesMatter」「黒人の命も大切だ」強いメッセージだよ。……ただ……。

ネコ:ただ?

青年:命は大切だ。それは間違いない。それに、デモの価値はあると思う。多くの人が考えるようになったからね。
でも、何だか違和感を感じるんだ。黒人の命「も」って所に。「も」って考え方自体が、何かおかしい気がするんだ。​

ネコ:……。

青年:そして、この差別反対デモが暴徒化して、既に死者が出ている。デモで無くなった人の命はどうでも良いってこと? 暴力には暴力で立ち向かうしかないってこと?

ネコ:……どう思う?

青年:本当は「EveryLivesMatter」全ての命が大切なんじゃないの? でも、一方で現実を見た時に綺麗事でしかないようにも思えてしまう。

ネコ:……うん。

青年:「差別はいけない」っていうのは、これ以上ないぐらい当たり前のように感じる。これまでも沢山の人達が差別を無くすために一生懸命に活動を続けてる。でも、現実に今だって差別は続いているし、その反対運動でまた人が死んでいるんだよ……。

ネコ:……そうだね。

青年:……そもそも「差別」についてどう考えたら良いんだろう? 一緒に考えてくれないかな。

ネコ:んー……正解はないよ。向き合ったからって解決する話じゃないし。

青年:うん、分かってる。だからこそ、ただの市民でも考えた方が良いことだなと思って。

ネコ:……良いよ。考えるのは嫌いじゃないから。でもその前に、おやつ。

青年:はいよ。

ネコ:むしゃむしゃ。

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ネコ:げぷ。チャージ完了。 まずさ、差別って何だと思ってる?

青年:う……。いきなり聞くね。

ネコ:うん。考えることが大事でしょ?

青年:そうだなぁ……。例えば人種とか、性的指向でレッテルを貼って嫌ったり、否定したり、下に見たりすること、かなぁ。

ネコ:キミは差別はしないの?

青年:うーん。人種とか性的指向では差別してないと思うんだけど……。 

ネコ:そっか。個人的に嫌いだったり、苦手な人はいるでしょ? 人間だもん。

青年:うん……そうだね。

ネコ:その個人的な好き嫌いと、人種とかで嫌う、つまり差別との差はなんなんだろう?

青年:そうだな……。 差別の方は社会的に「ダメ」って言われている、とか。

ネコ:じゃぁ例えば、「子どもは学校に行くのが当たり前だ」と思う?

青年:正直、自分の育ってきた経験からするとそう思うね。

ネコ:でも、色んな事情があって学校に行けない、もしくは行かないって選択をしている子はいるよね。そういう子たちを否定することにならないかな?

青年:なるほど……。そうかもしれない。でも正直そういうのを「差別」って言うと「?」って思う人も多いんじゃないかな。

ネコ:じゃぁ、社会的に「ダメ」って言われていない所には、差別は無いのかな?

青年:それは……。単純にまだ「社会の問題」として取り上げられていないだけで、差別のタネはある気がする。 そうか……。差別は個人の価値観の延長線上にあるけど、「社会的な問題」にならない限り差別としては見なされにくいってことなのかもしれない。

ネコ:そうだね。まず他人ごとじゃなく、自分ごととして考えることから全てが始まると思うよ。

青年:うーん、認めたくない自分もいるけど、きっとそうなんだろうな……。「自分自身が差別しているかもしれない」っていう冷静な目線が必要なのか。

ネコ:思い込みが一番厄介だからね。まずはそれに気づけただけでも収穫なんじゃない?

青年:ありがとう。

ネコ:じゃぁ、おやつもう1コ。

青年:……はい。

ネコ:むしゃむしゃ。

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ネコ:げぷ。

青年:でもそうなるとさ、中々自分が「差別心を持たない」ってこと自体が難しいってことだよね。悪意が無いような、いわゆる善い人でも。

ネコ:うーん。というか、「よいこと」を目指す限り、差別意識をもたないでいることは難しいようにも思えるんだけど。

青年:えっ。それはどうして?

ネコ:人間は「よいこと」をいつから教えられるようになるんだろう。

青年:そうだな……自分の例だと少なくとも、小学校から教育でちゃんと教えられたよね。「一生懸命に勉強すること」「規則正しくあること」とか、テストも沢山あるし。

ネコ:そっか。そうやって教えられながら頑張ったんだ?

青年:そうだね。それは良かったと思ってるよ。先生も一生懸命に教えてくれたし。

ネコ:その中で、がんばれなかった子もいたよね? 勉強できなかったり、ルールを守れなかったり。

青年:うん、いたね。

ネコ:そういう子はどうなった?

青年:……先生から叱られてた。

ネコ:それを見てどう思った?

青年:……ああはなりたくないって。

ネコ:それが自然だよ。

青年:たしかに……。「あるべき規範」からこぼれ落ちる子を目の前で叱りながら、「みんな平等に接しなさい」「差別をしてはいけません」って、どれくらいの子ども達の心に届くんだろう……。

ネコ:……。

青年:学校教育を全否定する気にはならないけれど、「よいこと」と「悪いこと」は常に表裏一体なんだね……。だからと言って、より善いことを目指さない教育なんて、イメージができないな。

ネコ:うん。

青年:……そうか。

ネコ:ん?

青年:だからこそ、「より善い」ことを目指しながらも、そこに同時に存在する、自分の中にある「悪」を簡単に排除した気にならず、認めることが必要になるのかもしれない。

ネコ:おー。

青年:悪も認める、か……。本当に一筋縄じゃいかない話だよね。

ネコ:だから、生きる意味があるんじゃないの?

青年:うっ。

ネコ:ハイ、おやつ。

青年:……もうない。

ネコ:寝る。


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最後まで読んで頂きありがとうございました。この青年とネコとの会話はきっかけに過ぎず、自分もまだまだ考え中です。

読んで頂いたあなたとも、一緒に考えられたら嬉しく思います。

おおたき

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参考にした本:

差別感情の哲学 / 中島義道 

差別ということば / 柴谷篤弘(編)


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