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承認より、肯定していこうという話


お互いを認め合い、承認し合う。
人間関係において極めて重要な価値でもある。

「認め合う」と聞くと非常に耳聞こえはいいが、はたして本当に承認とは健全なものなのだろうか。改めて考えてみたい。


  承認に孕む危険


「100点取れてすごいね!」
「自分で片付けれてえらいね!」
「今月もノルマ達成さすがだよ!」
「東大出身なんだ、すごく優秀だね!」

褒め合い、認め合うことは非常に気持ちの良いコミニケーションであることは間違いない。大人であれ、子供であれ同じことである。

子育て本や教育論でも褒めて伸ばすメソッドも数多くある。
ピグマリオン効果とは、生徒を褒めることで成績があがるという教育界では有名な事実である。

人は褒められ、認められることでさらに行動が促進される。
承認とは人の莫大なエネルギー源となりうる貴重な存在だ!

しかしながら、承認の裏には一種の危険も孕んでいる。

上記の例を見ればわかりやすい

「100点取れてすごいね!」
「自分で片付けれてえらいね!」
「今月もノルマ達成さすがだよ!」
「東大出身なんだ、すごく優秀だね!」

しかし裏を返せば

100点が取れなければ褒めてもらえない。
片付けなかったら自分は悪い子なんだ。
ノルマ達成しなかったら自分は価値がないんだ。
東大をでなかったら優秀じゃないんだ。

とも解釈できる。
決して極端な話ではない。

承認とは、結果が無ければなされない行為なのである。


肯定の意義

そこで肯定が出てくる。

肯定には結果など必要とされない。
全面的肯定である。

成功しても失敗しても味方である。
100点でも、0点でも応援してくれる。
東大であっても中卒であっても仲間である。

存在の全面肯定こそ
承認に飢え、評価に怯える現代にとって極めて健全なのではないか。

肯定の連続は、必ず相手の自信となる!

無理しなくてもいいよ
がんばらなくてもいいよ
やらなくてもいいよ
続けなくてもいいよ

この言葉の裏には「結果なんて関係なく、あなたの味方です」という意味が包含されている。


承認と肯定


どちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。

承認は人を動かす強烈なエネルギーになり、必要不可欠な存在である。
しかしながら、承認だけでは疲弊してしまう。

現代のSNS疲れとも言われる現象はここにあるのではないでしょうか。

肯定は現代病から解き放つ魔法の言葉である。


肯定

なにもしなくても、なにもできなくても私はあたなの味方だよ。

たったこの一言でで多くの人の救いになることがある。

大切な人にこそ肯定をしてあげたい。
守るべき人にこそ肯定をしてあげたい。


肯定は必ず、相手の自信や幸福につながる。

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