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意味のイノベーション〜つくった料理に一言だけ添えてみる〜


やってみようと思ったきっかけ

現在、「つくる」を深める社会人向けの講座を受講しており、その中「意味のイノベーション」のお話があった。講義ではどうも腹落ちしなかったが、実生活で、何となく理解できたかもと思えたのが週末つくった料理だ。

意味のイノベーションの定義

意味のイノベーションは、イタリア、ミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティ教授によって提唱された概念であり、同教授が2009年に提唱した「デザイン・ドリブン・イノベーション」という考え方に端を発している。
ベルガンティは、従来の問題解決型のイノベーションが「外から内」に向かって方向性を取る(outside-in)のに対して、意味のイノベーションは「内から外へ」のプロセス(inside-out)を経て実現されることを主張している。

前者の「外から内へ」のイノベーションが問題解決型と呼び、ユーザーの既存製品の使用場面を観察して問題を定義し、「どのように(How)」課題を解決するかのアイデアを提案する。決まった目的や価値、決まったプロダクトに有効的だ。
一方、意味のイノベーションは「内から外へ」のプロセスを経て「なぜ(Why)」を追求し、作り手の内にある「人々が愛するであろうもの」の仮説を、外へ向けてかたちにしていくプロセスを重視する。こちらは、未知の目的や価値、未知のアウトプットに有効的だと訴える。

概要は以上だか、わかったようで、正直よくわからない。
問題解決型のプロセスと、一人の内側から生まれるイノベーションの違いはなんだろうか?1つのアプローチは、問題解決型にもなりうるし、1人の内側から生まれてくるものじゃないのだろうか?

スラムダンク定食と名づけてみた

週末の料理でこんなことがあった。
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我が家は共働きのため、平日リモートワークの私が夕食の準備で台所に立つことが多い。平日はミールキット(オイシックス)を頼んでいるのでそのレシピ通りやれば味が保証された美味しいものがつくれる。
ただ、料理が完成した後が問題だ。
「ご飯できたよー」と言っても子供達は食卓に来ない。料理の準備中に見せているテレビに没頭していることが多い。子供2名(小1と2歳)いるが、小1が特に来ない。2歳の方は無理やり連れて来れる(笑)
その日の晩御飯は「こく旨!洋食屋さんのポークチャップ」だった。Oisixさんを応援するわけではないが、かなり美味しかった。しかし、小1は食べ残す。食事前のお菓子で腹が減っていないのか、味が合わないの、気分がのらないのか、よくわからない。「パパが一生懸命作ったのにー」と同情を誘っ
ても言ってもなんら気にしない。余ったポークチャップはラップをして翌朝も食べれる状態にしておいた。

夕食の後は、小1の娘と最近学校ハマっている「スラムダンク」ごっこをして風呂を入り、寝た。スラムダンクは自分の子供の時もハマっていたので一緒に遊べると嬉しい。

翌朝。
朝ごはんをつくるため冷蔵庫を開けた。
昨晩娘が残したポークチャップが赤く見えた。
これは・・何かに使えるかな、、、。
レンジで温めたポークチャップとご飯をだして、子供の耳元で「スラムダンク定食」できたよー、と言ってみた。
ケチャップソースが赤が「湘北の色」で白い色の米が「安西先生」と言った。
小1の子供は、「安西先生、白っ」と言って小1の娘は食卓につき、もぐもぐご飯を食べ始めた。
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上記のような行為が「意味を創る」行為なのかもしれない。
「単純にレシピ通り料理を作って出す」というのは、決まった目的や価値、決まったプロダクトで解決する意味のイノベーションでいう問題解決型のプロセス。

しかし同じ料理を「スラムダンク定食」と名づけて出した行為はこれまでと違う感じがした。
自分なりに、娘を観察し、娘の興味あるものは何であるかをぼんやりと考え、どうすれば食卓につくのか、どうすれば料理を食べるのかと考えていた時、冷蔵庫のポークチャップが赤く見えた時「スラムダンク定食」を創造できた。

これは意味をつくった、文脈をつくったと言えるのではないだろうか?

自分がつくったものを口に運び、その後一言もらう

講座では、美大を目指して青春を燃やす受験物語「ブルーピリオド」の1節を抜粋していた。

「絵を描くようになって見えていたはずの景色が今までよりはっきり見えるようになった。知っているはずなのに今まで何も知らなかったような気さえした」

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンKC) 山口 つばさ

これまで絵を描いていなかった主人公が、今までの生活で見えていた景色が、別の見え方をするようになったと感じるシーンだ。

もし私がこれからの料理を「娘が楽しくなるような一言を添えて料理をつくる」ことを目的にした場合、上記と同じような景色の変化が訪れるような気がする。
「料理をした後、娘が口に運び感想をもらうために料理をするようになって、見えていたはずの景色が今までよりはっきり見えるようになった。知っているはずなのに今まで何も知らなかったような気さえした」

そんなビジョンを持ったら、Oisixのレシピに娘の学校生活や興味とつながる文脈はないか?季節やイベントなどと紐づけて興味関心を持たせる表現方法はないか?など。色々考えそうだ。

一人の内側から生まれるイノベーションとは、「食事に添える一言」という表現の可能性を探究し、自分自身が探究するようになる状態のではないか?という気がした。

以上


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