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君は、もう用無しだ

 長い夜になりそうだった。
 仕事が片付いたのが深夜の2時過ぎだ。期日に間に合ったという安堵感と、一気に仕上げることができたという高揚感で、私は少しばかり躁状態になっていた。こうなると目が冴えてしまって、眠ることは不可能だ。
 こういうときは、録り溜めた海外ドラマを見るに限る。私は、海外の(特にアメリカの)馬鹿馬鹿しくて脳天気なドラマが好きで、眠れない夜のルーティンになっているのだ。
 しかし、便利な時代になったものだ。
 私は、HDDレコーダーのリモコンをいじりながら思った。昔なら、テレビのあるリビングまで降りていき、ビデオテープを入れて、目的の箇所まで巻き戻したり早送りしたりしなければならなかった。今は、書斎のパソコンで、ボタンを押すだけで簡単に目的のコンテンツを見ることができる。
 いや、待てよ。もうすでに映画やドラマの視聴は配信サービスがメインか。だが、お気に入りのコンテンツをいつでも簡単に見られるレコーダーは捨てがたい。当分使い続けることになるだろう。
 私は、立ちあげられていた「AutoCAD」の画面を閉じ、リモコンをいじって200近いコンテンツの中からひとつを選び出した。よし、今夜はこいつでいこう。
 27インチモニターの中で、ウインチェスター兄弟が活躍をはじめた。相変わらず脳天気で馬鹿馬鹿しくて素晴らしい、と私は満足して笑みを浮かべた。
 ご存知か? ウインチェスター兄弟とは、私が好きな海外ドラマ「スーパーナチュラル」に出てくるイケメン兄弟のことである。幽霊や悪魔と戦うという他愛ない話で、実にB級なドラマだ。眠れない夜に見るドラマとしては、ベストの選択である。
 あとのおすすめとしては、「スタートレック」シリーズ(特に初代&2代目)や「謎の円盤UFO」などがあげられる。「事件記者コルチャック」も捨てがたいが、あれはさすがに録画はできていない。再放送も不可能だろう。私は高価なDVD-BOXを購入したのだが、今は中古品が四万円以上するようだ。二万円のときに買っておいて本当によかった。
 さて、今回選んだスーパーナチュラルは「リアル・ゴーストバスターズ」という回で、パロディ色の強い作品である。いつものように幽霊が現れ、いつものようにウインチェスター兄弟が活躍する。もう、二十回以上は見ている作品である。
 ウインチェスター兄弟になりきるオタクたちが登場し、私は、今回も思わず「ふっ」と笑った。笑わないから「スマイル」とあだ名を付けられた私をいとも簡単に笑わせるとは、さすがはスーパーナチュラルだ。出来がいい。
 ふと私は、画面に注目した。
 あのメロディが聞こえたのだ。見るたびに気になっていたメロディである。いつもは何となく聞き飛ばしていたのだが、なぜか今回は気になった。よほど精神が昂ぶっていたらしい。
 ♪リカリンリン、リンリカリン、チカリンリン、ティンチカリン。
 メロディも変だし歌詞も変だ。だが、いつまでも耳に残る。そんなメロディと歌詞だった。
 普通の人間の女の子が、先生の幽霊のふりをするシーンである。悪ガキたちの幽霊を騙して、うまく力を抑えかけたのだが、その時、彼女のケータイが鳴り出す。悪ガキの幽霊たちは、先生が偽物だと気付いて襲いかかってくるという展開だった。
 私が気になったのは、そのとき鳴った着メロである。何かの曲の一部のような気がする。曲であるとすれば、アメリカか欧州のアーティストだろう。
 ♪リカリンリン、リンリカリン、チカリンリン、ティンチカリン。
 画面はとっくに別のシーンになっているのだが、今夜はいつまでたってもそのメロディが頭のなかでリフレインされる。躁状態のせいか、曲が気になって画面に集中できない。
 ええい、くそ。
 我慢できなくなった私は、ドラマ鑑賞を中断して、キーボードに触れる。何の曲からとられたフレーズか調べるためにだ。私は、音速でキーボードを叩いた。
 便利な時代になったものだ。
 昔なら、こういう時は、洋楽に詳しいオッサンに電話したものだ。
「あ~、もしもし。曲名を教えてくれ。いいか、今から口ずさむぞ。♪リカリンリン、リンリカリン、チカリンリン、ティンチカリン。どうだ、聴いたことがあるだろう。さあ、早く教えたまえ」
 それで分からなかったら、洋楽に詳しいオッサン2号に電話する。洋楽に詳しいオッサンは、6号までいるので、たいていの曲は判明した。
 それでもわからない場合は、テレビドラマならテレビ局、映画の曲なら映画の配給会社に問い合わせるのだ。どちらにしても手間と時間がかかる。
 今は、簡単だ。
 Googleするだけですぐに判明する。もちろん検索のコツは必要だが、パソコンやスマホがあれば、多くの場合簡単に突き止めることができるのだ。
「スーパーナチュラル」と「リアルゴーストバスターズ」「着メロ」をキーワードにして検索すると、いくつもの情報が現れた。残念ながら日本語のページには、それらしい情報はない。
 だが、英語のページにそれらしいものがあった。アメリカ人にも気になったやつがいるらしく、「Hey、あの着メロのタイトル、教えてくれよ。This is a pen」などと尋ねているのだ。それに何人かの脳天気なやつらが回答していた。
「Hey Brother、ありゃあ、Gossipgirlsのサントラにあった曲じゃねえか。I am a boy」
「hahaha、おれがズバリ教えてやるよ、Baby。あれは、Miss Eighty 6のRing A Lingだぜ。I’m fine.thank you」
 それだっ、と私は確信した。Ring A Lingは、あの歌詞に合致する。間違いないだろう。
 私は、今度はYouTubeを立ち上げ、「Miss Eighty 6」と「Ring A Ling」をキーワードにして検索する。すぐにヒットした。再生してみると、まさしくあの着メロである。ここまでの経過時間は、わずか5分程度だ。
 便利な時代になったものだ。
 聞けば、今は、メロディを口ずさむだけで曲名を教えてくれるアプリもあるんだそうだ。機械相手に口ずさむなど、少々恥ずかしいのだが、今度試してみようと思う。
 しかし、と私は憂慮した。
 便利というか、coolというか、たちどころに判明するのはいいのだが、私たちはその便利さを甘受するだけでいいのだろうか。便利さや手軽さと引き替えに、私たちは重要な何かを失っているのではないだろうか。
 例えば、洋楽に詳しいオッサンとか……。
 午前2時40分。
 私は、久しぶりに洋楽に詳しいオッサンに電話をかけた。軽い躁状態のせいか、「伝えなければ」との思いが強く、とても朝まで待てなかったのだ。
「ふぁい」と寝ぼけたオッサンの声が聞こえてくる。相変わらず間の抜けた声だ。だが、これまで何度か役に立ってくれたことは事実である。
「やあ」と私は言った。そして、伝えるべきことをシンプルに言葉にした。
「君は、もう用無しだ」
「ふぁ?」とオッサンの声がしたが、私は構わず電話を切った。部屋に静けさが戻った。私は、じっとパソコンの画面を見つめた。
 YouTubeの再生ボタンをクリックする。Ring A Lingのリズムが、再び部屋の中に流れはじめた。♪リカリンリン、リンリカリン、チカリンリン、ティンチカリン。
 サビの部分が部屋に響き渡り、私は、その音に耳をすませた。いくつかの思いが心に浮かぶ。
 そうだ、私は、失われたオッサンのことを書いてみようと思う。それが無用になった者に対する責任だと感じられたのだ。時間は、たっぷりある。
 長い夜になりそうだった。

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