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天罰機構

「余興じゃ余興じゃ」と博士は笑った。「研究も一区切りついたところじゃ。時間ならある」
 強いライトが天井からいくつも降り注ぐテレビ局のスタジオである。薄汚れた白衣を着た博士は、司会者に向かって鷹揚に手を振った。
 彼は、ボサボサの頭に手を突っ込み勢いよくかいた。フケが舞い散るが、司会者もテレビカメラもそこから目をそらす。
「しかし、本当によろしいのでしょうか」と司会者は笑顔を返した。「ノーベル物理学賞を受賞された博士に、私が冗談で言ったことを研究していただくなんて」
「だから余興じゃよ。よく言うじゃろ。冗談から駒、と」
 一瞬の間をおいてから、司会者は、高い声を上げて笑った。わざとらしい笑いだったが、博士は満足そうに笑みを浮かべた。
「なかなかいいジョークじゃったな。ひょうたんと冗談をかけたんじゃ。さて、今の話じゃが、あんたの言ったとおり、確かに昨今おかしな連中が増えている。ちょっとしたことで激高したり、盗撮して人生を棒に振ったり、特に訳がわからんのは煽り運転というやつじゃ。あれは、もう、キチガイというしかないな」
「あっ」と司会者が声を上げて体を硬直させた。「は、博士、その言葉は」
「ん。……ああ、すまんすまん。わしはIQは高いんじゃが、言葉の使い方が適当でな。キチガイは放送禁止用語じゃったな。キチガイという言葉は使ってはいけないんだった。大丈夫だ。もう、二度とキチガイという言葉は口にしないと、ここに約束するものであります」
「い、いや、博士。もう、結構ですので」
「ん、そうか。もういいのか。それでだな。世の中にはキチ……頭のおかしな連中が大勢いる。いちいち警察に通報するのも面倒だし、逮捕したにしても取り調べやら裁判やら、非常に手間と費用がかかるわけだ。そこでひらめいたんだが、天罰を人工的に作ってはどうか、とな」
「え、天罰って、あの神様がくだす天罰ですか」
「うむ、そうじゃ。もちろんわしだって神様が実在するとは信じていないし、天罰があるとも思っていないんじゃが、ないのなら作ってしまえばいいと考えたんじゃ」
「しかし、博士、そんなものどうやれば」
「なに、量子力学に不可能はない。ノーベル物理学賞を受賞したわしと量子力学の組み合わせは、鬼に金棒、虎に翼、英語で言えばdecisive advantageじゃな。どーんと任せておきなさい」
「いやあ、これは大変なことになってきました。視聴者の皆さん、次回の湯川博士の登場をどうぞお楽しみに」
 博士は、自信ありげにうなずきワハハハハと笑った。

 それから三ヶ月。スタジオ内はざわついていた。
 博士の天罰の話は、一時的には話題になったものの、本気で捉えるマスコミは皆無で、国民の間でもさほど話題にならなかったのだ。本来なら笑い者になっていたのだろうが、さすがにノーベル賞受賞者を笑う者はいなかった。
「では、博士。本当に天罰をくだす装置を発明したとおっしゃるんですか」
「そのとおり。確かに完成した。まあ、装置ではなく、法則と言うべきか。万有引力の法則と同様、この世に存在する法則として作り出したんじゃ。とはいえ、まだ結果は確認できてはおらんし、成功するかどうかはわからんのだがな」
「しかし、あれからたったの三ヶ月ですよ。いくら博士でも早すぎませんか」
「実は、量子コンピュータを借りることができてな。予想より随分と早くできあがった。量子コンピュータがなければ、完成までに3000年以上かかったはずだ」
 そう言ったあと、博士は少し間を置き、なぜか悲しげな表情で小さくつぶやくように言った。
「なにしろ私が完成させたのは、神そのものだからな」
「えっ、今、神を作ったとおっしゃいましたか」
「ん、いやいやいや。そんなこと言ってはおらんよ。神など作れる訳がないではないか。そんなことを言うと、爆弾ベストを着けたイスラムの連中に特攻されるぞ。あいつらも頭がおかしいからな」
「は、博士。その発言は」
「ん、ああ、そうか。すまんすまん。また、失言じゃ。イスラムと限定しては差別だな。キリスト教もユダヤ教も同等にあげなくてはならない。あいつら神を信じているくせに、どんどん人を殺すからなあ。全員、テロリストじゃよ」
「あ、あ、あ。もう、結構です。失言に対するお詫びは、私があとでたっぷりやっておきますので。そんなことより、博士、発明の話を」
「うん、そうじゃな。私が作り上げたのは、名付けて天罰機構という」
「天罰機構……」
「何か悪いことをやれば、その者に天罰が下るんじゃよ。まあ、どの程度のタイムラグがあるのか。個人差があるのか。悪事のレベルによって、天罰の大きさが変わるのか。そのあたりのことは、まだわかってはおらんがな」
 しばらく司会者が沈黙した。何かを思い出すように宙を見上げる。
「あの、博士。その天罰機構は、いつ完成したんですか?」
「ん、三日前じゃったな。三日間で試してみたんじゃが、まだその結果は出ておらん。実は、隣の家の犬がうるさくてな。注意しても聞く耳持たずだ。腹が立ったので、門扉に立ち小便を食らわせてやったんだが、いまだにわしに天罰はくだっていない。失敗かもしれんなあ。次は門前に脱糞してやろうと思っている」
「実は博士」と司会者がやや早口で言う。「実は、三日ほど前から『天罰がくだった』というSNSが増えてるんですよ。拾った財布をネコババして家に帰ったら家が燃えていたとか、クラスメートをいじめていたら、カラスのフンが直撃したとか、私は博士の番組を見た人のジョークだと思ってたんですが……」
 しばらく博士は無言だった。博士の顔が青ざめているように見えた。額に当てた手が、かすかに震えている。椅子から立ち上がり、そのままフラフラと歩を進める。
「まさか、そんなことが。わしもジョークのつもりだったのに……あのAIにそんな力があるというのか。これは、えらいことに。いや、知らん。わしは知らん。な~んも知らん」
「AI? 博士、AIって何なんです。AIが天罰を与えているとでも言うんですか? 博士、答えてください」
 司会者が何度も呼びかけるが、その声も聞こえていないようだった。博士は、振り返ることもなくスタジオを去っていった。その足取りは、酒に酔ったかのようにふらついていた。

「博士、名演技でしたね」と若い男が言う。「まあ、博士の演技はいつものことですが。本当の博士を知っているのは、助手の僕くらいですよ」
 博士が満足げに頷いた。テレビの出演時とは違って、高級なスーツを美しく着こなしている。髪の毛も整えられ、時折風に吹かれて前髪が額に落ちた。場所は郊外の一等地で、チューダー様式の瀟洒な一軒家である。その広い庭に設けられたベンチで、二人はティーカップを傾けながら談笑していた。
「私の他愛ない楽しみの一つだ。まあ、大目にみたまえ」
「いかにもマッドサイエンティスト風の汚れた実験着やら、パンくずを散らしたボサボサのカツラ、そしてあの大袈裟なしゃべり方。取材用にそれ風の自宅まで用意するんだから、いたずら好きにしても度が過ぎますよ。しかも、放送禁止用語を連発する」
「わははははは。わしはキチガイ科学者じゃからなあ」と博士はがらりと口調をかえてみせた。「まあ、このくらいの楽しみがなくては、ノーベル賞を受賞した意味がない。いたずらをやり放題だ。実に愉快だ」
 博士は紅茶の香りを楽しみながら、言葉を続けた。
「そういえば、君のSNSの小細工も成功したようじゃないか。しかも、その後も天罰の話題は増え続けている。集団心理だろうな。いかに大衆というものがイメージや思い込みで生きているか、その査証だ」
「小細工とはひどい」と若い男は口をとがらせた。「今の時代、SNSは、最も効果的な道具の一つですよ。あれがなかったら、博士の『天罰機構』もさほど話題にはならなかったはずです」
「まあ、確かにその通りだな。ところでSNSの統計は進んでいるのかね」
「ええ、すでに全世界で600万件以上の天罰が報告されています。国によって天罰のタイプが違っていたり、天罰を受ける年齢層もばらつきがありますね。基本的に命の値段が安い国ほど、天罰も厳しめです。女の子をだましていた男がエレベーターのドアに挟まれて胴体が真っ二つになったり、悪口を言っていた主婦の頭上から割れたガラスが落ちてきて首が切断されたり」
「ほお。本来なら事故として片付けられる案件が、天罰だと判断されているわけか」
「ええ。その方が都合がいい国もあるんでしょう。天罰なら仕方がない、という訳です。これだけ多くの人々が神の存在を信じた時代なんて、これまでなかったんじゃないでしょうか。おもしろい実験結果が出そうですね。……それはそうと、先生。新しいパソコンを買ってくださいよ。量子コンピュータとまでは言いませんが、今のパソコンでは分析に時間がかかって仕方がないんですよ」
「ああ、わかった。今のところ、予算は使い放題だ。なにしろ私の言うことをきかなければ、天罰がくだされるのかもしれんのだからな」
 博士が自分が言ったセリフに吹き出し、それを見た助手も口に含んだ紅茶を思わず吹き出した。
 その瞬間だった。
 何かが二人の頭に落ちてきた。頭に当たって派手な金属音をたて、そのまま石畳に落ちてさらに大きな音を立てる。
「な、なんだ」
 二人が驚いて地面に目をやると、それは大きな金だらいだった。アルミ製らしき金だらいが二つ落ちている。
「なぜ、こんなものが落ちてくるんだ。ドリフターズじゃあるまいし」と博士が頭をさすりながら言う。
「ドッキリですかね」
「ドッキリ? 誰のドッキリだと言うのかね」
 二人は、空を見上げた。空には、雲一つなかった。

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