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かくれんぼの効能

 普段、たくさんの人を同時に相手にしているからか、僕はどうやら普通よりも少しだけ周囲の状況、特に人の動きに敏感らしい。

 それで怒られたりしたことはないけれど、うちの奥さんはきっと、二人で話しているときに、僕の視線がいろんな方向に跳ぶのをわかっているのだろうと思う。ショッピングモールなんかを歩いていても、すれ違う人、追い越していく人、通り過ぎるお店の店員さんを少しずつ視認してしまう。

 食事中は、自分たちの会話と同じくらいのレベルで、隣の人の会話を聞いてしまうことがある。本当にめんどくさい奴ですみません。

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 そんな僕が、普段以上に注意を引き付けられられるのが、子どものひとり歩き。小さな子がひとりで歩いていると、思わず目で追ってしまう。と、同時に必ず行うのが「保護者はどこ?」だ。先日こんなことがあった。

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 とある郊外型の大きなショッピングモールで歩いていると、二歳半くらいの男の子が小走りで向こうからやってくる。時々後ろを振り返ったりしている。どうやら彼からは「さっきまで一緒にいた人」の姿が見えないらしい。

 当然僕も探す。

 ・・・いない。

 そのまますれ違う。やっぱりトコトコ走っては時々振返っている。

 迷子なら一緒に探してあげようかな、なんて思ってすれ違ってからも目で追ってた、すぐに事情が呑み込めた。その子とすれ違ったすぐあとに横のお店から出てきた女性が、次のお店の柱の陰から彼を見ていたからだ。しっかり子どもの様子を窺いながら、ちゃんと後ろをついていく。物陰に隠れて。

 事情がわかって目で追うのをやめたから、そのあとどうなったのかはわからないけれど、泣いたらすぐに出ていくのだと思う。もし不安になって戻ってきたら、目の前を通り過ぎたところで声をかけるんじゃないかな。

 彼はどんな気持ちだろうか。「どこに行ったの?」という気持ちは、不安なのかな。それとも好奇心なのかな。ワクワクかもしれないな。

 不安は0ではないだろう。たぶん。

 だけどきっと、こういうひとり歩きの経験は、彼の中にいろんなものを残してくれる。きっと。

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 車の免許を取るのは難しい。だけど、一番難しいのは、免許を取ったあと、初めてひとりで車を運転するときの、不安や恐怖に打ち勝つことではないかと僕は思う。それまで常に隣に誰かがいたのだから、それは当然のことだ。

 そういう「自分一人しかいない」状態を乗り越えるには、理屈ではない力がいる。単なるチャレンジ精神などとは少し違う。

 子どもが成長していく。その一つの分岐点は、「ひとりで動く」ことだ。ひとりで動く時間、その子はきっといろんな感情を抱える。それが、いずれ、何かに立ち向かう力になるんじゃないかな。

 だけどそれは、「ほったらかしにすればいい」ということではない。姿を隠して、でもきちんと見ている、保護者の存在が大事だ。普段いかにその存在に安心感を得ているか、ということでもある。その普段の安心感あってこそ、ひとりでいることの不安と立ち向かうことができる。感情を、溢れ出さないようにと抱えておく努力が生まれる。

 かくれんぼはただの子どもの遊びだけど、きっとそういう側面もあるんじゃないかな。もちろん、公共の場でやることに配慮は必要だけどね。

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