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あったらいいかも、「クソリプしてごめんなさい m(_ _;)m」ボタン《140字以上のnoteことはじめ 》

 noteではじめて、いわゆる「クソリプ」とよばれるものをもらいました。
 はじめはふつーにコメントをもらってたはずだったのが、返信にコメントが返ってきて、さらに返信してひと晩たったら朝イチで、

 は?……なにが言いたい?

 としか言いようのない、やな感じのコメントがはいっていました。

 

 この世にそういうものが存在するのは知ってましたし、つい最近、ヤマシタマサトシさんのこの記事↓も読んでいたから……まあ、そんな人もいるんだろうな、とわかってはいました。 《https://note.mu/offreco/n/n26c0dc7e20a0》

 だけど、記事は記事。なんだかんだいっても他人事ですから、

あぁ、こうして哀れ怒れる匿名の誹謗中傷を投げる人々はどんどん孤独に突き進み、怒りと憎悪のスパイラルの中で生きていくのですね。 
 
 合掌。。。
 来世ではまともな道を歩むんだよ。。。

 と、ヤマシタさんに突き放されたクソリプ主に、

 こんな人は、行く先々で「お前のコメントなぞ、いらん!」と嫌がられ、削除&ブロックされて居場所を失いながら、いろんなブログサイトをさまようのだろうか……
 なんだか救われないなぁ……
 
 はやく石投げるのやめて、来世にいく前に、みんなに好かれる善い人になってくれ……

 なんて、同情する余裕もありました。

 

 だけど、いざ自分に降りかかってくると、そうはいかないものですね。相手に対して同情だとか、忖度だとかする余地もなく、

 ぶっ飛ばす

 ただそれだけしか出てきませんでした。

 だけど、事前にヤマシタさんの記事で予習したことのご利益か、腹をたてながらも、もうひとりの自分がゆる〜く突っ込んできます。

 あんた〜、あのときの同情はウソやったんか〜ぃ(´∀`;)

 って。
 うん、あれはあれでウソではなかった。でも、自分が当事者になるとそうも言ってられないものなんですね。身をもって学びました。

 

 そのうえ、意図的なのか不可抗力なのかわかりませんが、コメント中の漢字が誤変換、もしくは誤字で、まったく意味がわからない。意味がわからないけど、だけど、ひらがなだけを拾い読んでるだけで「悪口」である、ということはちゃんとわかる、みたいな。

 なんだこれ、こんなところで謎解きクイズかよッ!と腹をたてながら、こんなことが頭をグルグルしています。

 うつの人間に、解読が必要な謎解きコメントを送りつけるなんぞ、人道に反するにもほどがある!

 ぷんすか、ぷんぷんぷんぷんぷん!

 以前にも書きましたが、五百蔵は「うつ」です。そして、「うつの脳=メモリー不足のパソコン」です。《https://note.mu/beabamboo/n/n43c804f44ce7》

 だから、いろんな知識を照らし合わせながら、かつ、ひらめきを要求される謎解きは、うつの脳みそにはほんとにキツイのです。
 そんなわけで、テレビで「東大王」とか見てても、マニアックな知識問題は面白がっても、謎解き問題はスルーです。

 そもそも謎解きをするだけのスペックが足りてないのに、「人様から頂いたコメントだから……」と真剣に解読していたら、うつの人間はあっさりと脳疲労をおこして、明日からの日常生活に支障がでます。
 そんなつもりはなかっただろうと思いますが、実に絶妙な嫌がらせです。

 

・◇・◇・◇・

 

 さて。かようなものをもらってしまった以上、こちらも相応の対抗措置を取るしかありません。できることは3つです。

 ①コメント削除
 ②当該アカウントをブロック
 ③運営に通報

 ついつい、対抗措置をとって逆恨みされないだろうか……なんて懸念もよぎります。だけど、

 嫌なことを最初に仕掛けてきたのは向こう。
 次に同じことがあって、ダメージを食らうのは自分。

 自分のメンタルの平和のためにも、ブロックはさせてもらうしかありません。ふたたび撃たれないように、専守防衛です。

 

 次はコメント削除です。
 削除対象は、最初のコメント、返信に返ってきたコメント、さらに返信したら返ってきたクソリプ、の3つがあります。

 ここがすこし悩みました。
 最初にもらったコメントは、別に平和な内容なのです。ただ、五百蔵の興味の範囲からは外れていただけです。人によったらこのコメントに興味を持って、さらに面白いことを考えつくきっかけとなるかもしれない、そんなコメントなのです。

 残したほうが、参考になってよろこぶ人がいるかもしれない。
 だけど、自分の安全のためには、全削除して関わりを断ち切ったほうがいいかもしれない。

 もし、いちばん最初にクソリプを目にしたときの「ぶっ飛ばす」の精神状態のままだったら、まちがいなく全削除していたと思います。
 だけど、先行事例を知っていたおかげで、自分の心の動きをちょっと冷めた目で眺められました。そのうえ、コメント自体が謎解きだったおかげで、なんだか腹立ちがズレたところにいってしまいましたし。
 だから、怒りの沸騰はわりとすぐおさまって、目には目を、歯には歯を、ってほどでもなくなってました。
 そこで、全削除して完全に拒否るよりは、最初のコメントは残して、論点がズレていった2つ目のコメント以降のやり取りを削除することにしました。

 

 罪を憎んで人を憎まず、ということわざを具体化するとしたら、たぶんこれでいいのだと思います。
 だけどこの決断には、やっぱり勇気がいりました。

 一部を残したことが自分に不利に働かないか、すくなからず悩みました。
 一部を残すことで、この後にコメントをくれた人に悪い影響が出たらどうしよう、とかとも考えました。

 願わくば、なぜ消され、なぜ残されたか、そこに思いがいたる人であってほしい……ただそれだけです。

 

・◇・◇・◇・

 

 こんな殊勝な物言いをしていますが、実際は、怒りの感情や報復を求める感情が消滅したわけではなく、ずるずると2、3日くらい尾を引きました。だけど、日にちがたってみたら、さらに客観的になってきて「ほんとうにブロックまでする必要があったのか?」ということを考えはじめました。
 もし、その人が、残されたコメントを見て、意図を察してくれるなら、そして、今後はコメントするときにそれなりの配慮をしてくれるなら、ブロックを解除しても問題はないんですから。

 だけど、五百蔵はもうすでにそのひとをブロックしました。
 もし、あれはやりすぎだった、ごめんなさい、と言ってくれようとしても、受け取りようがありません。

 う〜ん……なんだかなぁ……

 一度トラブった以上は、お互い近づかないほうがいいのだと思いますが、ゆるゆるとでも和解するきっかけがない、というのも、いびつなことに感じられます。

 しかも、ちょうどこのころ、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展 その後」が脅迫により中止になった事件があったせいか、深津貴之さんの方から「気に食わないものごとも寛容に受け止めてやっていくこと」等々についてのnoteが流れてきます。《https://note.mu/fladdict/n/n4c99c9002591》

 ……そうなんです。
 嫌いな言論も気に食わない人間も、ある程度は受け流しつつ、うまく共存していくしかないんです。
 自分の表現の自由をなるたけ広く確保するためにも、「よほどでない限りは、目をつぶる(ただし、反論はしたりするけど)」と腹をくくるしかないんです。

 だけど、これまでのインターネットの世界には、「削除」「ブロック」「通報」、あるいは「《こいつがクソリプをしました》と晒す」……つまり、クソリプを受けた当人が拒絶的に防衛する手段しか用意されていないんです。
 でもこれは同時に、送りつけた側を精神的に追い詰めてしまう方法でもあります。
 実際に「ブロック」という措置を取りながら、自分がそれをされたら……と想像するだけで、いたたまれない気分になってきます。こちらにとってはやむをえない「防御」ですが、受け取る方にとっては、やはり「拒絶」というのは徹底的な「攻撃」。どうしても、ネット上のやりとりの逆恨みから殺されてしまった Hagex さんの痛ましい事件が頭をちらつきます。

 それに、五百蔵がほんとにほしいのは、「あれは悪かった」のひとことと、ブロックを解くきっかけです

 

 だったら、
 「クソリプしてごめんなさいm(_ _;)m」
 ってボタンがあったらいいんじゃない?

 受けた側が防御する、という消極的な手段だけでなく、送った側が反省できる積極的な装置があったら?

 

 もしかして、クソリプしてた人の中にも、後になって、

 「しまったぁ……ああああああああああああ……_| ̄|○ il||li」

 と苦悩した人がいるかもしれない。いや、いたらいいな。
 ただ、謝罪って、感謝を伝えるよりも勇気がいる。それがボタンひとつで謝罪を伝えられたら、謝罪を伝える道が残されてるとしたら……その人の中で何かが変わるきっかけになるかもしれない。

 

 例えばこんなのはどうでしょう……
 ある日、noteを開くと、あなたにこんなポップアップがいきなり届く。

 先日は失礼なコメントをいたしました。
 許してヒヤシンス!

 どこまで本気だかわからないけど、笑える謝罪文と笑える謝罪イラストが、セットで届く。

 ヘッダーの画像は、その一例としてどうだろう、という精神で選びました。くれぐれも、「死んで詫びてくれ」という意味ではありませぬ。
 ていうか、クソリプをもらって一瞬、激怒はするけど、「死んで詫びてほしい」ほどの案件でもないです。

 しかもこれ、不意打ちで来ます!

 もう、想像しただけで和田アキ子が「わらハって、ゆる〜して〜♪」と歌っているのが聴こえてきそう。

 

 え、「わらって許せるわけなんてないじゃん!」……って?
 ですよねー。
 だけど、怒りの気持ちが肩透かしをくらうのはたしか。だって目的は、「お互いの怒りを削ぐこと」ですから。

 とはいえ、それを見てブロックを解くか、やっぱり解かないかは、ひとそれぞれです。

 

 さらに、「クソリプごめんなさい」ボタンを使った人は、つぎから「コメント送信」をポチったときに、

 「いま、冷静ですか〜?
 一時保存して考え直す、ってのもアリですよ〜」

 という、クールダウンをうながすポップが出てきたりして。
 そのうえ、常習性の高い人は、強制的にまる1日は送信できないようにする。そして24時間後、あらためて保存されたコメントを見て、「ちょっとひどかったかなぁ……」なんて反省しながら書き直すチャンスを作る。

 せっかく謝罪をするわけだから、その後もうっかり変なコメントを送りつけないよう、仕組みで手厚くケアをする。そもそもクソリプを出さないよう働きかける仕組みクソリプの常習化を防ぐ仕組みを組み込むのって、効果があるかもしれない。

 

・◇・◇・◇・

 

 クソリプはイヤですが、出した以上、もらった以上、最後はお互いなんとかして水に流すしかないわけです。
 だとしたら、そこに「ユーモア」が介在したほうが遺恨が残らないし、相互にユーモアを通わせ合うことで、クソリプの出にくい空間を作っていけるのではないか、とも展望できます。

 これは、2018年5月、noteにスパムコメントが湧いたときのものです(その後、修正されたようで、日付が変わっています)。
 この記事に示された「スパム絶対許さない」という決意と、「スパム絶対殺すマン」みたいな、どうしても笑みを誘ってしまう深津さんの言葉選びと、メラメラ燃える白クマくんのとぼけ具合のバランスがほどよくて、自分も何件かスパムコメントの被害にあっていたにもかかわらず、「あーもーいいわ、二度とせんならゆるそう」とおおらかな気持ちになったのを覚えています。

 この記事のおかげで、「不快な」スパムコメント事件が、「運営の頑張りで無事解決したし、結果オーライでいい思い出」になったのは間違いありません。《https://note.mu/fladdict/n/n941567dbcda7》

 「寛容」と口にするのは容易ですが、それをどう実践するかは「寛容」という言葉は教えてくれません。
 だけどこんなふうに「ユーモアで切り返す」というのが、ひとつの実践方法になるのではないかと思います。

 

 noteはミントグリーンのテーマカラーに象徴されるように、非常にスタイリッシュに作られています。
 だけどその一方で、「スキ」と赤いハートとともにあからさまに好意をお知らせしたり(乙女かよッ!)、ヘッダーを「みんなのフォトギャラリー」から選んだり(お子様かよッ!)、大人の知性と稚気とのギャップについ萌えてしまいます。
 それにとどまらず、「スパム殺すマン」まで登場するんですから(特撮ヒーローかよッ!)……noteって、ほんとにユーモアの天国!

 クソリプ主ともそこはかとなく和解できる、なんかいいやり方の開発に、こんなnoteらしいセンスが発揮されたらなぁ、なんて期待してしまいます。

 

・◇・◇・◇・

 

 これだけたくさんの人間がいるのだから、衝突が皆無になるのは絶対にありえない。
 ありえないなら、衝突を「楽しむ」というのは言い過ぎですが、結果オーライで終われるような仕掛けが、インターネット上で作られてもいいころなんだと思います。

 なんだかんだいっても、いまはまだ、インターネットは草創期なんです。問題が起きるのも、解決の方法が十分にないのもそのせい。
 だけど、草創期だからこそ、問題解決にクリエイティビティを発揮できるわけで。これはこれで、いまの時代でしかできない特権的な楽しみ、って考えたら、かえってワクワクしてくるかも。

 

 ……ということで、《「クソリプしてごめんなさい m(_ _;)m」ボタン》的なもの、だれか作って、と小石を投げてみました。
 真に受けてくれる人、いるかなぁ……?いたらいいなぁ……。






いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。