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#118_【旅と学び】鹿島海軍航空隊跡

前期の決算処理をしながら、日々の稼ぎの大事さを感じつつ、来年度以降は大型案件も受注しなければならないという課題を目の前に、日々いばらの道が続いている今日この頃です。

【いばらの道…。】

今日は、年初の目標に掲げた「土木遺産・景観保全活動を考えるプロジェクトの発足」の準備として、茨城の霞ヶ浦までやって来ました。

【海じゃないかというデカさの霞ヶ浦。しかし、二番だと目立たない…。】
【マリンレジャーも盛んです。海ではありませんが…。】
【サイクリング推しでもあるようです。】
【JR土浦駅には、自転車の組み立てスペースもあります。】

霞ヶ浦のほとりには、かつて海軍の鹿島海軍航空隊がありました。おもに、水上機の訓練が行われていたそうで、その名残がいまも見られます。

【波止場と違う感じの構造物ですね。】
【ボートの陸揚げに便利ですが、もともとは飛行艇のスロープ(滑走台)です。】
【カタパルト(射出機)があった跡です。】

最近、US-2誕生のストーリーを漫画で読みましたが、かつて対馬には、いっときですが水上飛行艇が飛んでいた時期もあったそうで、そそられますね(^^ )。

鹿島海軍航空隊は海軍のものということで、一部の施設は終戦から1997年までの50年間、東京医科歯科大学附属霞ヶ浦分院として利用されました。
しかし、その後は管理されることもなく放置されてしまったため、「肝だめし」的な不法侵入が後を絶たず、荒れ果ててしまいました。

【落書きにも時代を感じます。】

時が経ち、2016年に地元の美浦(みほ)村が国からの払い下げを受けて取得することとなりますが、その際の条件は「史跡群の撤去を前提として公園整備を図る計画を進めること」でした。
実際、先に美浦村が譲り受けた南側部分約半分の敷地は、村営のメガソーラー発電所になりました。フットサル場を作る計画もあったそうです。
しかし、「これでは歴史がなかったことになってしまう」と保存に向けた活動が動き出し、2022年夏にクラウドファンディングが行われ、昨年夏に一般公開が始まりました。

対馬の砲台跡もそうですが、ひとつ建屋があってそれだけ、というわけではなく、兵士が集まる建屋から、飛行機を飛ばす場所、燃料などの物資を格納しておく場所など、広大な敷地にあれこれ点在しています。

【鹿島海軍航空隊跡の史跡マップです。】

施設の全容を予習せずに訪問してしまい、振り返ってみると色々見逃しがあることに気付きましたが(゚∇゚;)☆\(-_-;)、一気に紹介してまいります。

まずは、自動車車庫から。

【飛行機を牽引する自動車の車庫です。】
【現在は週末カフェとして利用されています。】
【半地下になっているスペースです。】

続いて軽油庫の跡です。

【もともとはカムフラージュしてあったものを外したそうです。】
【反対側から撮影です。】
【入口です。】
【内部と鉄扉です。】

写真に収め忘れましたが、外構と内壁の間に人が通れるほどのスペースがあります。湿気対策だったそうです。ちなみに、軽油はドラム缶で保管されていたとか。
対馬の砲台跡にも、棹崎砲台跡や豆酘崎砲台跡に同様のスペースがみられます。豆酘崎については、探照灯を格納する場所だったようですが。

つづいて、鹿島海軍航空隊の本庁舎です。

【玄関です。戦時中は迷彩色でしたが、病院への転用にあたり塗り直したそうです。】
【玄関の近くにあった、海軍マーク入りの水栓です。】
【横からも撮影してみました。】
【2階から階段を見下ろします。】
【格子天井の部屋です。】
【格子天井の部屋の隣にある謎のスペースです。右側は壁ではなく扉です。】
【水道は、病院に転用される前からあったようです。】
【マンホールほか展示品です。】
【食堂だったのでしょうか。】
【ロケで一番人気の部屋だそうです。】

その他にも、色々なものがあります。

【汽缶場です。】
【汽缶場に納まっている、昭和14(1939)年製のボイラーです。】
【海軍マーク入りの消火栓です。】
【裏から見た本庁舎です。手前は別の建物の基礎部分になります。】

対馬にもたくさん軍事史跡がありますが、正直なところ私も、最初は好奇のまなざしで見ていたところはありました。学校教育で「戦争放棄」をたたき込まれたからこそ見てみたくなる感情もありましたし、紹介されている画像や動画からでも、そこから醸し出される独特な雰囲気を体感してみたいというのもあったのだろうと思います。

そして、他所の地域で史跡の保存活動に取り組む方々のお話を伺い、保存することの意味や現物が残っていることの強みといったものを感じます。
対馬に存在する指定文化財と軍事史跡は、相容れないように感じるかもしれませんが、保存の取り組みについて話を聞きますと、いままで私が文化財関係の取材で得てきた知識が通用しますので、扱う対象が違っても、文化財行政の考え方は基本的に変わらない、というのは感じます。

数多くの文化財を抱える対馬では、限られたリソースをどのようにやりくりしながら現物を残していくのか考えていかねばならない一方で、文化財を守り続けることを義務であるかのように次世代に押し付けるのではなく、内発的に大事なものであると感じてもらい行動にまでつなげる仕組みも求められてくるのだろう、と感じます。

堅苦しい話になってしまいましたが、訪問当日に開催されました「廃墟景観シンポジウムvol.3」では、文化財への興味関心が自然と湧いてきそうなヒントが散りばめられていたと思いますので、次回はその模様などを紹介したいと思いますo(^-^)。

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