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かいぶつのうまれたひ #29

  目次

 タグトゥマダークは、篤のあまりの愚かしさに憎悪を抱いていた。
 ――真っ向勝負だと? 愚鈍がァ……
 鼻面を中心に広がる憎悪の皺が、タグトゥマダークの麗貌を鬼神のごとく変容させる。
 ――まだわからないのか、クズが。雑魚は雑魚らしく奇策で来いよ間抜け。
 墓から手を伸ばす亡者のような手つきで、界面下のバス停を掴んだ。
 全身に、憎悪が滾る。
 憎悪を呼吸し、憎悪を代謝する。
 憎悪で、思考する。
 眼が眩むほどの甘い甘い憎悪を感じ、タグトゥマダークは一転、頬をだらしなく緩ませた。
 ――あぁ、夢のようだ。
 ――これからこのクズ野郎を八つ裂きにできるなんてな。
 腕に異様な力が込もる。カッターナイフの傷跡が無数に残る腕が、その筋肉が、芋虫のように蠕動する。
 ――放つか、禁殺。
 蠕動に呼応して、腕に宿る〈BUS〉が特殊な間隔で律動しはじめる。
 一生に一度、どうしても存在を許せぬ相手にしか用いてはならない。師からそう厳命されていた、絶招。
 それは、虚停流の中では特に難度の高い技法ではない。
 それは、戦術的な意味では特に強力な奥義ではない。
 にも関わらず、禁忌。
 ……その技は、痛みを与える。
 特殊な波形の〈BUS〉流動がバス停の刃に漲り、相手の肉体をわずかでも斬り裂くことで発動する。
 刃から敵の肉体へと流し込まれた〈BUS〉波動は、全身の末端神経に存在する侵害受容器において電気シグナルのように振る舞い、過剰な――あまりにも過剰な痛みを誘発させる。
 薄皮一枚裂けるだけで、臓腑を喰いちぎられるような苦痛が襲いかかる。
 ただ掠っただけで、歴戦の強者が泣き叫ぶ斬撃。
「虚停流禁殺――」
 迫りくる雷撃の塊を前に、タグトゥマダークはもはや莞爾とした笑みを浮かべていた。
「――〈惨聖頌〉」
 あぁ、凄なるかな。
 この苦痛に祝福を。
 諏訪原篤の無意味な矜持は、いま最も醜悪な形で砕け散る。
 ――この僕の手で……ェ……!
 停が、鞘走る。
 どす黒い斬閃が、世界に消えようのない汚点を刻む。
 横ばいの弧月。
 肉体のすべての可動部分が一挙に駆動し、単一のベクトルに加速する。
 それは、あまりにも醜く、それゆえに美しい。
 完璧な軌跡。
 空間を穢し尽くし、そこに地獄を顕現せしめる。
 タグトゥマダークが初めて繰り出した、本気の斬撃。
 彼は敵の技量を正確に見抜いていた。この一閃は、かわせない。絶対に。
 ――泣いて死ね、叫んで死ね、悶えて死ね漏らして死ね垂れ流して死ね。
 死に、腐れ。

 裂。

 振り、
 抜く。

 ●

 ――いや、さて。
 闇灯謦司郎は、分析する。
 彼の敗因は、何だったのだろうか――と。
 ……いやいや、考えるまでもない。
 一目瞭然だ。
 片方は、何の迷いもなく相手を殺そうとしていた。
 片方は、自分の卑小さに苦しみ、それでも相手を討たねばならない状況に迷っていた。
 ――要するに、ただそれだけの違いだったんだろうね。
 動機の、差。
 迷いの、差。
 ――勝てるわけ、ないよねえ……そりゃ。
 つまりはそういうことだったのだ、と。

 ●

 タグトゥマダークは〈惨聖頌〉を振りぬき、怖気のように襲いかかるであろう快楽を待った。
 はたして諏訪原篤は、どんな声で哭いてくれるのだろう。
 どんな音色で狂ってくれるんだろう。
 どんな匂いのクソを垂らすんだろう。
 あぁ――早く。
「――覚悟とは」
 ――早く。
「捨て身の玉砕にあらず」
 ――早……く……・?
 タグトゥマダークは、左の後方から聞こえてくる不愉快な声を、ようやく認識した。
 瞳孔が、収縮する。
「それは現世での責任を逃れるための方便に過ぎない」
 弾かれたように左を向く。
「――覚悟とは」
 自分の振りぬいたバス停。
 その先に。
「たとえ天地の理を覆そうとも目的を達する決意である」
 ――佇んでいた。
 刃の上で。
 悠然と。
「死ぬ気で生き残る。生きて責任を果たす。その心こそが、魂に咲く華である」
 その脚は、奇妙に曲がっていた。
 人間の脚には、本来一つしか間接がないはずである。
 だが、今、篤の脚には二つの間接が存在していた。
 尋常な膝関節と、その下にある逆向きの間接。
 そこまで見て取った瞬間、タグトゥマダークは、自分がいま敗北を突き付けられていることを悟った。
 ――僕と、同じか――!
「たとえこの身がどう変わろうと」
 タグトゥマダークが猫化していったように。
 諏訪原篤もまた変異を果たした。
 ただし、変化する部位を、篤は自分の意志で決定したという点で、自分とは果てしなく食い違っていた。
「ただひとすじの美しき道」
 ゆっくりと――現実には恐ろしいまでの速度で――篤は己の得物を振り上げた。
「……ぎ……!」
「見失わぬ限り憂いなし……!」
 紅く凄愴な眼が、タグトゥマダークの胸を射抜いた。
 裂帛が大気を引き毟り、純粋な衝撃となって顔面を叩く。
「滅却せよ! 彼我なりし怯懦!」
 振り下ろす。
 打ち下ろす。

「覇停・神裂!!」

 白く、淡く、穏やかな光が、タグトゥマダークの眼球を侵した。

【続く】

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