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軍略の天秤

  目次

 死霊の軍勢は、粛々と葬列のごとく森を進軍していた。
 浄化の聖炎が腐った体を蝕むことはなくなり、ギデオンより与えられた指令に従って、王国の中枢へと突き進んでゆく。抵抗らしい抵抗は一切ない。エルフたちは完全に姿を消していた。
 彼らにまっとうな判断能力があれば、明らかに奇妙なこの状況に警戒の念を覚えたはずであったが、そもそも生物ですらなく現象に過ぎないアンデッドどもは、何ら葛藤を覚えることなく幽鬼王レイスロードの下知に従い続けた。
 ギデオンと、彼の眷属たちの真に恐れるべき性質がこれである。どれほど離れた場所にいようと、眷属たちの知覚情報がタイムラグなしでギデオンまで届き、そしてギデオンは念じるだけで命令を飛ばせてしまう。連絡に早馬や伝書鳥などを使わざるを得ないこの世界の軍事レベルからすれば、まさしく破格の能力を持った軍勢であった。自然発生的に現れる通常のアンデッドではこんなことはできない。
 とはいえ、この能力の埒外さを自覚し、有効活用できる幽鬼王レイスロードは存在しなかった。彼らは屍術の研鑽に生涯を費やす邪悪な禁忌魔術師どもであり、軍事学など学ぶ機会は一切なかったためだ。ゆえに、卓抜な軍略を持つ幽鬼王レイスロードなどという冗談抜きで世界を滅ぼしかねない存在は、幸運にもこれまで現れることはなかった。
 だが――今、ここに、現れてしまったのだ。
 アンデッドたちは長蛇の列となって森を突き進む。最初はゆるやかな横列だったのだが、森の中で浄化の力が極端に強くなる箇所があり、そこを避けて進んでいるうちにいつの間にか縦列隊形になっていったのだ。当然ながら、進行ルートが一本道になってしまった以上、眷族の大半はまだ〈化外の地〉にいた。

 ――なるほどな。

 その様子を王都の上空で知覚しながら、ギデオンは敵の狙いを察した。
 異界の英雄の力による浄化の結界。その効果範囲に細長い抜け道をわざと用意し、アンデッドどもの隊形を薄く引き伸ばす。
 そこに横合いから騎士たちが突撃して長蛇の頭を分断。直後にあらかじめ埋伏していた平民たちが一斉に音の鳴る矢を放って包囲殲滅。これを繰り返すことで全軍を少しずつ各個撃破していくつもりなのだろう。

 ――教科書通り、といったところか。

 恐らく、最初の迎撃地点は最寄りの〈聖樹の門ウェイポイント〉付近であろう。転移門を開けるギデオンが死霊軍団に同行していない以上、そこはエルフたちにとって一方的に有利な場所である。だが、その直前でアンデッドたちはぴたりと進軍を停止していた。

 ――まずはこの結界の性質を確認することから始めねばならない。

 恐らくは、「中」と「外」が明確に区切られていることが重要なのだ。凄まじい浄化能力だが、その境界をあいまいにした場合、どうなるのか。
 結界の起点が、木々に巻かれた奇妙な綱であることはすでに読めている。ギデオンは眷属どもにこれらを切断するよう指示した。
 ここまで近ければ火矢を使う必要もない。ゴブリンが鋳造した粗雑な戦斧を振りかざし、アンデッドオークたちは次々と綱を切り落とす。
 ……何も起こらない。ギデオンの危惧としては、浄化の力が液体的な性質を有しており、境界を破壊した瞬間小量が流れ込んでくることを予想していたが、そうではないのか。

 ――ならば分散すべきだな。

 全軍一斉浄化のリスクを回避できるのならば、むしろバラバラに進軍させるべきである。ギデオンの目的は戦いに勝つことではない。時間稼ぎである。騎士戦力と異界の英雄の目を外に向けさせることができればそれでよい。各個撃破? あぁ、させてやろうではないか。この数を殲滅するのに何ヶ月かかるか見物である。
 緒戦で数を減じて四万七千程度となったアンデッドの軍勢は、慎重にしめ縄を切り落としながら広く分散を開始する。

 ●

予定通り敵は分散しているであります! 間一髪でありました」

 戦術妖精からの送信情報によって、フィンも敵軍の展開状況をリアルタイムで把握していた。

「し、しかし……どうして敵が分散してくるとわかったのですか?」

 リーネは値を丸くしている。

「消去法であります。〈虫〉を活用してオブスキュアの国家機能を麻痺させ、国土全体にオークたちを電撃的に展開させる圧倒的な手際の良さから、敵の三人のうち少なくとも一人は極めて高度な軍事学を修めていると考えられます。そしてヴォルダガッダと〈道化師〉どのは、交戦し、話してみた限り、あまりそういう緻密な戦術を練られるような人柄には思えなかったであります。ならば残るギデオンどのが敵の軍師であったと考えるよりほかにないであります。そのギデオンどのならば、全軍が極端に細長い縦列隊形になってしまう状況は間違いなく嫌うと考えたであります。それはもう殲滅されるのを待っているも同然の危険な状態でありましたから」
「し、しかし、ギデオンどのとはわたしが幼いころ交流がありましたが……確かに剣士としては絶類の域にあったものの、こんな大規模な軍事行動を指揮した経験があるとは思えません……」

 一理ある。通常、オブスキュアに侵入してくるのは数十体程度のオーク部族でしかない。数万規模の大軍勢をここまで自在に操ってのけるなど……彼はいったいどこでそんな技能を学んだのか?

「……ギデオンどのは、どのような形で亡くなったのでありますか?」
「いえ、死を確認できたわけではないのです。あるとき唐突に行方をくらまし、それから幽鬼王レイスロードになって襲来するまで何の音沙汰もありませんでした」

 第一王女の死から、現在の状況に至るまでに、まだ色々と謎が多い。
 だが、それは本人の口から語られるべきことだろう。

「……ともかく、敵の全軍が王国内に入りきるまで、その部隊展開をコントロールする必要があるであります。騎士の皆さん、力を貸していただけますか?」

 オブスキュアの守護者たちが一斉に整列し、胸に拳を当てた。

「ありがとうございますっ! 本作戦はとにかく敵にこちらの真意を悟らせないことが肝要であります。転移網と樹精鹿くんたちを最大限活用し、攪乱と誘導を行います。危険を伴い、繊細な機動が要求される任務でありますが、各員の奮起精励を期待するであります!」
「「「この命尽きるとも!」」」

 そして、具体的な作戦要綱がフィンの口から語られた。

【続く】

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