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囚われ姫のジト目

  目次

 〈道化師〉は、宙を滑るように移動していた。
 常と同じく、あえかな微笑みを浮かべている。
 彼の傍らには、鳥かごが浮かんでいた。蛍光色の幻影で紡がれた、大きな鳥かごだ。植物の蔓を模した装飾がほどこされており、作り手の繊細な美意識が色濃く表れていた。
 その中には、畏れの念を抱かせるほど美しいエルフの姫君が、身を丸くして眠りについている。
 瞼が震え、ゆっくりと開いた。蒼の微光が解き放たれる。
 まだ寝惚けているのか、うつらうつらと開閉を繰り返していた。

「やあ、お目覚めかい。シャーリィ・ジュード・オブスキュア殿下」

 戯れに〈道化師〉が声をかけると、彼女はびくりと反応した。身を起こし、左右を見回す。
 状況がうまく飲み込めないのだろう。そばにいたはずの少年の姿を探している。

「フィンくんはいないよ。いまごろきっと慌ててるだろうね。一緒の寝袋にいたはずなのに、姫君がどこかに消えてしまったんだから」

 そう言われて、ようやく自分がさらわれたという事実を理解したようだった。
 〈道化師〉から距離を取るように、鳥かごの格子に背を付けた。険しい眼差しを向けてくる。

「あなたとは、遠くから見ただけで大した接点もなかったけれど、恐れ入ってはいるんだよ、これでもね。まさか異界の英雄を三人も召喚するとは、さすがに予測ができなかったよ。いや参ったね。どうしたものか、なかなか悩ましい状況だ」

 苦笑しながら、自らの顎をつかむ。

「正直に言うと、あなたのことは今この場で殺してしまうのが一番手っ取り早いんだよね。それだけで、異界の英雄をいともたやすく全員葬れる」

 息を呑む気配。

「まぁでも――心情としては、あなたのような小さな女の子を殺すなんて切実に御免こうむりたいところではあるし、フィンくんのことを考えると、どうにもね……」

 〈道化師〉は憂いに目を伏せる。
 そして姫君に挑戦的な視線を突き付けた。

「と、いうわけで、取引をしないか? 聡明なあなたなら必ずや首を縦に振ってくれる内容だと思うんだけど」

 シャーリィは、変わらず険しい表情のままだ。
 〈道化師〉は宙を滑り、鳥かごのそばに寄った。

「次の条件を呑んでくれたら、いますぐこの鳥かごから出してあげよう。そしてもとの場所まで丁重にエスコートしてあげる。条件は簡単だ。フィンくん以外の二人を元の世界に送り返してくれ。それだけであなたは自由の身だ」

 少女は、目を見開いた。

「もし呑んでもらえない場合――」

 〈道化師〉の手の中に、蛍光色の大槍が出現した。ねじくれた逆棘の生えた、凶悪な造形だ。
 その穂先は、シャーリィの胸を指し示している。

「――今この場で死んでもらう。女子供を殺したくないのは本心だけど、必要ならば、やるよ」

 透徹した意志を込めて、〈道化師〉は少女を見やった。
 だが――彼女はこちらを睨んだまま、うなずかなかった。

「おや? 条件がよく理解できなかったのかな? 自分が死んで、英雄を三人とも失うより、自分は生き残って、少なくともフィンくんだけは手元に置いておけるほうがどう考えてもいいはずだよね?」

 シャーリィの視線は動かない。槍の穂先ではなく、まっすぐ〈道化師〉を見据えている。

「言っておくけど、こんな取引を持ちかけているのはただの気まぐれなんだよ。殺してしまえば何の問題もないところ、まぁそれじゃあ寝覚めが悪いから、あなたにチャンスを与えているに過ぎない。いつまでもこの厚意が続くとは考えない方がいい」

 大槍が宙を浮き、前進。シャーリィの胸に接触し、穂先がわずかにめり込んだ。

「さあ、うなずきたまえよ。その強情は何の意味もない自殺行為だってことくらいわかるだろう? オブスキュア王国のためにどうするのが正解か、王女として賢明な決断をしてほしい」

 シャーリィは、ゆっくりと首を横に振った。

「……残念だよ、愚かなお姫様。じゃ、さようなら」

 指を振る。
 永遠のような一瞬。
 だが。

「…………」

 沈黙。槍はそれ以上前進しない。
 剣呑な視線を交し合う両者。
 鉛のような時間が、のろのろと過ぎてゆく。

「……やれやれ」

 〈道化師〉は嘆かわしげに溜息をついた。指を鳴らし、大槍を消滅させる。

【続く】

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